2004年10月の日記


10月1日(金曜日)

4:30出勤。有明→八日市場→境町→有明。米の集荷700袋。しかも千葉と茨城で2ヶ所積みだ。境町の集荷先に行く途中迷ってしまい、時間的なロスを作ってしまった。それ以外はこれと言って無しかな・・・


10月2日(土曜日)

4:00出勤。有明→安中→品川→有明。単発の仕事なので余裕がある。帰りはたっぷりと休憩を取ってから帰ってきたのである。長い長い一週間の終了。来週はどうなるか?


10月3日日曜日

さて、考える時間なんて日曜くらいしかないから先週を振り返ってみるか。やはり野球絡みの話題が多かったな。週刊文春の記事で具体的に明るみに出たが、やはり楽天の影に巨人ありと言う事か。またナベツネかよ!!楽天と巨人側は否定しているが、まぁ〜ねぇ〜。どうしてライブドアーって嫌われるのだろうか?何でも既存の財界人などとつき合いが無いらしい。それに比べて楽天の三木谷氏は、父親が著名な経済学者と言う事もあり、財界人とのパイプも太いらしい。古い体質の人間から見れば潰したくなるってのが、本音だろうかな。ライブドアー堀江氏が変人で、楽天三木谷氏が常識人という図式になったのだろうか?どっちを応援するわけではないけど、ナベツネの影があるんじゃねぇ〜・・・

イチローが大リーグ最多安打記録を達成した。凄い!!10月2日付けの読売新聞夕刊の一面をカラー写真で飾っている。記者会見も酒が入っているのか、いつもより饒舌で本当に嬉しいのだなと思ったのである。

確かイチロー選手は登録名を鈴木一朗からイチローに改名した時からブレイクした。仰木オリックス元年で(何年かは失念)パンチ佐藤ともに改名したの年である。何でも仰木監督の前の監督のD氏は、若い芽を摘む事で有名らしく、イチローの振り子打法が嫌いと言う理由で起用しなかったと聞く。D氏は巨人OBで二言目には「巨人はこうだった」といっていたそうだ。また巨人かよ!!日本的な話だ。米国が全部いいと言うわけではないが、実力のあるイチローにチャンスを与え、そしてその結果に対して惜しげも無く称賛の拍手を送る。若い芽を摘むのとは正反対だ!!

その影で(本当に影で)中日ドラゴンズ5年ぶりのリーグ優勝だ。今年の日本のプロ野球界は雑音が多かったので目立たなかったが、優勝である。それにしてもビール掛けに還暦の信子夫人とせがれの生意気フクシ(字が解らない)が出てきて落合監督にキスはねぇ〜だろう。男の職場にこんな形で家族が出しゃばるなんて・・・気持ち悪いぜ!!それとも俺は古いのか?

やんごとなき事情により、ちょいと出かけなければならなくなった。クルマで出たのだが、自宅近くで小学校の同級生でイラストレーターのMと遭遇。バスを待っているようだったので声を掛けて駅まで送る。もうじき子供が産まれるようで幸せそうだ。

すぐに用は済んだが腹が減っている。どうするか?ちょっと走って番紅花にでもいくか?そう思い、一応電話を入れてみる。もちろん営業しているのだが、最近は休憩時間もとらないらしい。店に着いてから、カレーパンマンを呼びつけ、しばし談笑。そんな一日でした。

写真は番紅花のキーマ野菜&にタマゴカレー大盛りとイチローの記録達成の号外。何でも今日の朝刊に入っていたそうだ。


10月4日(月曜日)

4:00出勤。有明→戸田→有明→大黒→有明。朝一の仕事で、新車のウイングのシャーシを引っかけて、納品に行く。ところがまたしてもトラブル発生!!通常“ブタバナ”と呼ばれるコンセントを差し込み、スイッチを入れ開けるのだが、“ブタバナ”がない。ここまではヨシとしよう。でも今どきの新車に“ブタバナ”が付いていないなんて・・・仕方がないのでシャーシの配電盤からヘッドのバッテリーに繋げ、直接電源を取る事にした。ところがこれもちょいと様子が変だ。黒のコード(マイナス)しか来ていない。このコードをマイナスに繋げてもウイングは開かないし、参った。結局先輩ドライバーに聞いたところ、ジャンプコードを使い、バッテリーのプラス端子とエアホースの向かって右にある棒状の金属を接続すれば開くとの事。じゃぁ〜あの配電盤はなに?新車のシャーシで何とも間抜けである。結局この倉庫に納品に来ている、別のドライバーに、ジャンプコードを借りてウイングは開ける事が出来ました。写真は左2枚がブタバナと呼ばれる端子。シャーシ側が♂でヘッドにあるコード側が♀である。一番右の写真が役に立たない配電盤と、バッテリーのプラス端子と接続する棒状のもの。納得がいかないのである。ちなみに一番右の写真はauW21SAのカメラ昨日を使用して撮ったもの。200万画素はオーバースペックだな。

午後からは一斗缶中心のバラ積み。待たされたあげく2ヶ所積みでヘベレケ・・・いつになったら身体が慣れる?


10月5日(火曜日)

3:00出勤。有明→郡山→有明。片道250kmの長丁場だ。某倉庫に米を集荷しに行ったのだが、連日のトラブル発生!!現着間近になり、場所とすぐに積めるかを確認するために電話した。するとそんな集荷は聞いていないとそっけない。細かな事を伝えるが知らないの一点張り。もっと話を煮詰めてから電話してくれとまでいわれた。こちら側からしたら、細かなところまで煮詰めているのだが、一方的に言ってくる。仕方が無いので、出勤前の事務所の人間を捕まえて、事情を話す。結果が出るまで待機だ。結局荷主側の手違いであったようで、そのまま倉庫に入ってくれとの事。電話での応対を後悔しているのか、現地に到着すると積み込みを手伝ってくれた。ロスした時間は取り戻したぜ!!降りしきる雨の中、行きも帰りも走り通しましたよ。静岡行く時よりも峠が少ないので多少楽ではあるけどね。

写真はこの日引っ張って行ったシャーシ。アコーディオン状に屋根の部分がスライドして開く。でもこの日は雨が降っていたので、後ろからパレットを入れローラーで前まで押して積み込みをした。


10月6日(水曜日)

3:00出勤。有明→高崎→有明。話は前日にさかのぼる。本来なら鴻巣で納品してから高崎で集荷するはずだった。ところが昨日の夜に到着した船から、荷物が下りないと言う事態が発生した。何でも故障のようで、ハッチが開かないと言うのだ。そんな事もあるのか・・・

そんな事情で余裕のある一日。帰りははなもりで食事をして帰ってきた。30分くらいだけどね・・・


10月7日(木曜日)

5:00出勤。有明→野田→有明→品川→有明→戸田→有明。雑用的な仕事が多く、てんやわんや・・・ルート選びも失敗して延着気味の納品となってしまった。反省である。疲れた・・・


10月8日(金曜日)

5:00出勤。有明→谷和原→市原→有明。出発前に燃料を入れに行く。ところが売り切れ。(@_@;)ようは社内スタンドのようなところで、稀にこういう事があるらしいのだ。何とも時間の無駄・・・

雨は降っているし、週末、道は混んでいる。谷和原から市原まで4時間もかかっちまった。あ〜


10月9日(土曜日)

5:00出勤。有明→袖ケ浦→有明→久里浜→有明→昭和島→品川→有明。昨日の時点で指示書をもらっていなかったので、指示書を取りに行く。すると昨日言われた事以外の指示書が入っている。久里浜への実車回送だ。とにかく売り上げになるのはありがたい。袖ケ浦の仕事は2台口だったので、先導してもらう。現地に着いて待機時間があり、昼過ぎには作業完了。有明に戻って久里浜だ。台風22号が心配だが仕事なので行くしかない。有明でのシャーシの切り替え作業は、土砂降りの中カッパを着て行った。

出発後すぐに雨と風は強まる。横浜市内でピークに入りベイブリッヂ(一般道)をわたる時は凄かったが、上に首都高が通っていたので、思ったよりも平和。しかしその後、磯子辺りでは人が風に流されるのを見た。走って行くうちに雨と風は収まってきたが、横浜市を出るあたりで待機。すると会社から電話が入る。何でも有明はこの電話が入った時点でピークらしく、私の、いや荷物の安否を心配してきたらしい。状況を説明して出発した。結局久里浜のフェリー埠頭は雨も止み、風も大した事なかった。シャーシを切り替えて再び有明まで回送である。

この後昭和島まで燃料を入れに行き、火曜日に使うシャーシをあらかじめ品川から有明まで回送。帰りは午前様です。あ〜疲れた。


10月10日日曜日

謎の異音解明のため、キャロルへ。まずは秋葉原による。車楽さんに頼まれていた、私と同じデジカメを購入しに行く。タマカズは少なく在庫は2台しかない。仕入れると同時にはけるのか?130万画素のデジカメも、こういった需要があるのか?結局メモリスティック無しのものを購入。別売りのメモリスティックを購入してキャロルに向かう。

異音解明を試みるが、再現性がほとんどない。2回くらい“カタカタ”と音がしたがそれだけでは解らない。結局原因不明のままクルマを持ち帰った。写真はキャロルでご相伴に与った鍋。美味かった。


10月11日月曜日

ひたすら身体を休めるだけの休日。なんの事は無い、食っちゃ寝それだけだ。例によって先週の出来事を振り返って見るが、思い出せない。その代わり、数週間前のある出来事を思い出した。テレビだったか、ラジオだったか忘れたがそのニュースを聞いた。男性同性愛専門誌薔薇族の廃刊だ。別にそっちの趣味は無いがちょいと驚き。だったそういった世界には、ある一定のマーケットがあるわけだ。反対に言うと最初から多くの部数発行を考えていない。堅実にやっているのかと思った。(というほど考えた事はないが)しかし、編集長のインタビューを聞いた時なるほどと思った。何でも薔薇族の“売り”は文通覧にあったそうだ。全国各地の同胞と知り合う。それが売りだったようだ。しかし、今の時代それはインターネットに取られたわけで、やむなく廃刊となったそうです。他の世界もそうなって行くのか?


10月12日(火曜日)

3:00出勤。有明→鴻巣→高崎→有明。19:00までに有明に戻ってくるハードコース。土曜日に品川から有明に、自主的にシャーシを回送してきたから、いくらか楽だ。これを品川にシャーシを取りに行って、有明で資財を積んでじゃ・・・さらに手間が増えるからね。仕事自体もスムーズに行き、高崎から全線した道でも間に合ったが首都高だけは使う。そして早く帰ってきたのだが、翌日の日程は御前崎行。一旦家に帰りすぐに出勤する手はずとなった。あ〜


10月13日(水曜日)

前日の21:00出勤。有明→品川→御前崎→有明。のっけから付いていない。雨の中シャーシを探している時にワイパーが動かなくなった。出発前に自分なりに点検してみるが解らない。仕方なくそのまま走る。思ったよりは視界がある。しかし危険だ。おまけに想像以上に眠くなる。途中何度もクルマを止められるところで、点検してみるが機械音痴の私には解らない。状況を考え、横浜から-吉田間を東名に乗り、この日の売り上げについては赤字にならなければいいと、思う事にした。

14日は仕事を休みにして、修理の段取りを整えた。が、今一度修理工場に連絡してみたが修理不可能との事。代車も検討したがどれも怪しい。結局、この日は戻ってから点検だけをして、翌日は仕事とした。ワイパーはモーターが原因のようで、部品の調達を頼み、雨が降る事が無いように祈るだけである。

帰りも高速を使って帰ってきたため、早く帰ってこれたが何かなぁ〜本当に疲れた一日でした。


10月14日(木曜日)

5:00出勤。有明→守谷→品川→有明→岩槻→有明。今日も時間に追われる。守谷で順調に積み込みは終わったが、それでも岩槻にある程度の時間に着くのは辛い。結局全線高速となった。その甲斐あって、それなりの時間には着いたが、5台もトレーラーが待機。結局俺は一番最後となったのである。(-_-;)

有明に戻り同僚を連れ立って工場にクルマを持ち込む。帰りは同僚のヘッドで有明に戻り、一日が終了した。明日は休みである。写真は岩槻での納品風景。


10月15日(金曜日)

臨時休業である。長雨でほったらかしになっていた、カブのオイル交換をする。クルマでの通勤は、朝は楽だが帰りは大変。それにコストもかかるしね。これから再びカブでの通勤がスタートである。そのオイル交換をしたカブで昼飯を食いに行く。すぐ近くにある、幸楽苑と言うチェーン店だ。まぁ〜値段で食えますよ。わたしゃラーメンあまり食わないのでこの辺にしておきます。写真は724円のセットメニューです。


10月16日(土曜日)

4:00出勤。有明→昭和島→有明→高崎→有明→昭和島→有明。修理に出していたヘッドを取りに行くため、駐車場で上司と待ち合わせ。ところが駐車場に到着してみると、社員の自家用車が一台と不動車のヘッドが一台のみ・・・(@_@;)休みの間に駐車場が同じ敷地の別の場所に移動したらしい。結局私と同僚の2台は全然別の場所に移動する事になった。便利になったからいいけどね。

仕事自体はスムーズに終了。有明に戻ってから同僚と二人で月曜日の準備。月曜日は久里浜にシャーシを取りに行ってから沼津となった。そのため、積み込みのための資材をヘッドに載せる羽目になった。段取りが大事である。ふぅ〜


10月17日日曜日

いつも通りだらだらとした休み。回転寿司に昼飯を食いに行ったのと、ちょいと都内まで用足しに行ったくらいだな。その回転寿司での話。右隣に化粧臭い30代前半の女性が座っている。さらにその右隣には子供が二人と亭主とおぼしき人物がいた。ようは家族4人で飯を食いに来ているのだろう。そんだけの事だがなんか嫌な予感がした。別に実害があったわけではないけど、予感は的中。この母親とおぼしき30代の女性はしきりに値段を気にしている。ほとんどが一皿130円の店なのだが、それ以外の値段のネタが分かりにくかったのも確かだ。まぁ〜そんな事はどうでもいい。ただ貧乏臭いだけの事だ。私が頭に来たのはこの母親皿を取ってはネタしか食べず、シャリは一切、手を付けない。そんな無駄な食い方をするなら、お造りを頼めばいいのに・・・今日日、回転寿司でもそのくらいの事はする。子供の前であんな行儀の悪い事をするなんてね・・・ま、俺には関係ない事と言ってしまえばそれまでだ。

例によって先週の気になった出来事を考えてみた。まずはダイエー産業再生機構支援について。これに関しては賛否もあるし、私自身が難しい事は解らない。ようはあんだけ大きいと、どんな手を使ってでも潰せないと言う事だろう。もっと小さな負債で潰れる会社は沢山ある。それを考えるとやっぱり大企業は幸せなのかな?

そして楽天とライブドアーの球団経営参加に関してだ。どっちもアダルトサイトに関する事業を展開しているとの事で、質疑応答があったようだ。私に言わせれば、だから?それだけだ。じゃぁ〜駅売りのスポーツ新聞のHなページは何よ。言い訳として、規模が違う事を理由にするのかな?ネットのアダルトサイトには様々な問題があるだろう。でもなぁ〜そんな事ばかりいってもと言う感じだ。消費者金融に関しても一般市民にはアレルギーがあると抜かしたヤツもいたし、いったい何が正業なのかな?やっぱり新聞屋が一番偉いのか?


10月18日(月曜日)

4:00出勤。有明→久里浜→沼津→有明。久里浜でシャ−シを引っかけ沼津で集荷と言うちょいと変則な仕事。そのためヘッドの踊り場に資財を積み走る。でも行きなり、出発時にヘッドランプのバルブが切れた。故障続きである。しかし、この日は久し振りの快晴で、運転していても気分がよろしい。免許を取り、運転しているだけで嬉しかった頃、走った道を通っている。あの頃に比べてR134も随分と道が整備された。あの頃とは違い仕事で走っているが、時間に余裕があるせいか快適であった。思わず“お前ら仕事しろよ!”と声を掛けたくなるサーファーが多数いた・・・そんな湘南ドライブだ。

この日の静岡入りはいつもと違うルートだ。久里浜からR246を経由して沼津入りでは、あまりにも遠回りだ。同僚曰く空荷ならば箱根新道を使えばいいとの事。トレーラーでも700円で通れるし、勾配はきついが走りやすいとの事であった。実際この選択は正解で、スムーズにいったのである。20t積んでは使おうとは思わないけどね。

積み込みの方は結構大変であった。約束の時間よりも早く作業を開始出来たのだが、目を離すとやたらと高く積みたがるフォークマンである。部材なのだがそんなことをしては不安定だ。積み直しなんかもあり予定よりも大幅に沼津を出るのが遅れた。そして渋滞の中を走り東京に戻ってきてから給油とヘッドランプの受け取り・・・車庫に戻ってきてからヘッドランプを同僚と交換して、この日の仕事は終了。疲れた・・・

写真は踊り場に積み込んだ資材。久里浜でシャーシに載せ変えた。そして、江ノ島を見ながらのドライブ?とにかく天気は良かったな


10月19日(火曜日)

3:00出勤。有明→品川→相模原→横浜→有明→流山→品川→有明。相模原の納品先には参った。見つからない・・・現場近くの運送屋の車庫に、大型車が止まっていたので運転手に聞いて見た。「ここだと思うのですけど・・・」と尋ねると、「そのクルマじゃ入れないよ」との事。あっちじゃないかなといわれた方にいってみるが、違う。おまけに何とかUターンして戻ってくる始末だ。その後、先輩ドライバーと電話が繋がり、やり取りした。もう一度探してみる事にする。発進しようとした瞬間、乗用車が声を掛けてきた。「○○に行くクルマ?」助かった。後で解ったのだが、納品先の社長さんであった。

位置的には自分で目星をつけたところで間違いはなかった。しかし、例の大型運転手氏が言うように入って行けそうにないし、知らなければあんな所には入って行かない。とにかく無事一件目終了である。その後横浜で2ヶ所目の納品を終了させ、首都高横羽線を使い一旦有明に戻る。

流山での集荷を終えて古ケ崎五差路を越えたところでストップ。消防車が多数いる。火事か?戻るにもUターンなんか出来る乗り物じゃないし、参った。まぁ〜23:00くらいまでに戻ればいいし、様子を伺いに行く。なんと軽トラックが横転して道を塞いでいるではないか!!雨の日の出合い頭の事故だろうか?こんな市街地の道で横転なんて・・・結局30分くらいだろうか?消防がクルマを退かしてくれて、身動きが取れるようになった。その間、私の後ろについたクルマに事情を説明してやりUターンを勧めた。ほとんどの人が軽くお礼を言ってくれて引き返すなり待つなりしていたが一台だけ頭に来たクルマがあった。前方で軽トラが横転している事を告げると「このクルマが動けないの?」と私のトレーラーを指した。もう一度説明してやりUターンして別の道を行った方がいいと勧めると、「他に道知らないから!!」と俺に切れていた。とにかく俺は当事者じゃないと言う事を説明して、ちっくっとひと言、言返したが、何ともむかつく婆ぁ〜である。この婆ぁ〜と秋雨前線にやられた一日であった。


10月20日(水曜日)

5:00出勤。有明→川崎→小平→川崎→品川→横浜→有明。雨である。夜には関東に接近して相当な雨風が来る。小平ではウイングシャーシを引っ張って行ったのに、ロープが多数かかっているためカッパを着てぬれながらの作業・・・荷卸し自体は楽であったが、雨ってのは嫌である。川崎でシャーシを切って品川→品川の予定が急きょ横浜へ行く事になった。そんな一日でした。


10月21日(木曜日)

3:30出勤。有明→品川→八日市場→有明→品川→品川→有明。八日市場へ米の納品に行ったのだが参った。まず出発した時点で台風は、まだ成田にいると言う。実際途中、結構な雨風に見舞われた。

そして下ろしの方である。てがきと呼ばれるカマの様な物で袋に詰まった米を引き寄せてパレットに並べる。全くの手下ろしより楽であろうが、コツがつかめず重さばかりが気になる。先輩ドライバーと2台口で2台を二人で下ろしたのだが、私はどうひいき目に見ても、自分のノルマを達成していない。いったい先輩ドライバーがいなかったらどうなっていた事か!!(@_@;)

この後品川で一本仕事をこなし終了。雨も上がったしやれやれである。


10月22日(金曜日)

3:30出勤。有明→深谷→加須→川崎→有明。天気はいいし、仕事も問題なく終了。今週も後一日だ。


10月23日(土曜日)

4:30出勤。有明→高崎→有明。先週の土曜日と全く同じ仕事。無事終了である。ところが家に戻ってくっると、新潟で大きな地震があったと報じている。目が離せない。大丈夫か?


10月24日日曜日

テレビで地震のニュースをチェック。何でも2時間で震度6の地震が3回もあったとか・・・読売朝刊のトップは新幹線が脱線した写真であった。乗客を乗せた状態での脱線事故は開業以来始めてとの事。新幹線のほぼ真下が震源地らしく、世界に誇る新幹線技術もこれに追いつかなかったらしい。いや、その世界に誇る新幹線技術だからこの程度で収まったのか?いずれにしろ衝撃的な出来事だ。

NHKの教育テレビとFM放送で安否情報を流している。阪神淡路大震災の時に必要性を言われたが、今回はそれが実現しているようだ。知り合いの実家もめちゃくちゃになってしまったようで、何とも心配だが何も出来ない。復旧の方向性だけでも決まらないものか?


10月25日(月曜日)

2:00出勤。有明→邑楽郡→草加→若洲→有明→船橋→有明。邑楽郡に5:00過ぎに到着。納品は6:00からなので、準備をして待機。すると6:00過ぎに身体に感じる地震を感じた。新潟が震源地の地震だろう。あちらではもっと大きな余震が続いているのか・・・

船橋の集荷先にいち早く行くが、後から来た先輩ドライバーの手を借りる事に・・・反省である。まだまだ半人前です。さて、寝るか。


10月26日(火曜日)

4:00出勤。有明→総和町→品川→有明→千葉→有明。2発目の仕事の千葉で予定よりも時間を食ってしまった。雨の中のカッパを着ての作業だ。積み込みは荷主側でほとんどやってくれて、私は最終的な締めの作業だ。勝手を知った人がやってくれるので楽と言えば楽だがね・・・雨は嫌だな・・・そして帰ってきてから静岡行を言い渡された!!


10月27日(水曜日)

1:00出勤。有明→昭和島→品川→清水→有明。静岡行はいつも何かある。こういうネガティブな考えはいろんな意味でよくないが、実際にいつも何かあるのだからしょうがない。でもなにもない事を願い、毎回気を引き締めているつもりだ。だけど今日は調子がいい。スムーズに走れそうだ。品川でシャーシを引っかけると、引っかけた瞬間、今日の荷物が軽い事が解る。ラッキーである。規定積載一杯と荷台は埋まっていても軽い荷物とでは、雲泥の差である。特に静岡行は峠越えがある。20tも積んでいると登坂車線を使うし、登坂車線がない場合は、後ろに渋滞を作る。ところは今日はグイグイと上って行き、精神的にすごく楽であった。ところが、この峠道の快適さを感じる前に事件は起きた。

出発してちょいと走り、左折で国道に出た。左折が終わると加速する。そして信号があったが、黄色になり右折の矢印が出た。もうすでに止まれる状況ではないので、そのまま交差点を通過。すると赤色灯がひかり、官憲に止められた。

「運転手さん!!ちゃんと信号守らないと駄目じゃない」

「勘弁してくださいよ。加速体制に入っていたし、あの状態じゃ止まれないよ。」

「飛ばさなければいいじゃない」

「飛ばすって言っても、これじゃタカしれてるよ!!」

「じゃぁ〜取りあえず免許所出して」

こんなやり取りの後、私の免許所を無線を使い照会したようだ。そしてその作業が終わると

「じゃぁ〜気を付けて行ってね」

「どうも!!」

これで終わりである。あの状態で信号無視を取られたんじゃたまらないが、加速で通過したから止めたのだろう。減速の時の通過であったら止められなかったろうな。

で、信号の話である。イタリア式に言うと青は進め、黄色は急げ、赤はもっと急げである。冗談はさておき、黄色も赤も止まれだ。黄色に関しては但し書きがあり、止まれない場合はそのまま進んでもよいとある。トレーラーに乗るようになり、本当の意味でこの但し書きが解った。積み荷のトレーラーってのは本当に止まらない。なので歩行者用の信号が赤になったら止まる事を考えたりする。しかしこれとて、歩行者用の信号が赤になってから車両用の信号が赤になるまでの時間と言うのは、交差点によりまちまちだ。(違うかもしれないがそう感じる)車両用の信号が青なのに止まるのは返って危険だし、交通の流れを止めてしまう。いつも通る道ならば大体の信号の流れはつかんでおり、その流れで止まる信号も頭に入っている。しかしそうでないところがほとんどなので、この黄色で進まざろう得ない時があるのだ。今回もそれだったのだが、詰まらない事に時間をとられたくない今後は気を付ける事にしよう。

写真は帰りの静岡県内のバイパスでの事故。写真には写っていないが、接触したトラックも近くに止まっていた。反対方向は大渋滞。明日は我が身だ、肝に銘じよう。


10月28日(木曜日)

5:00出勤。有明→横浜(大黒町)→品川→戸田→有明。大黒町での集荷は手積みであった。ちょっと気張り過ぎたか、ひじが痛い。しかし、久し振りに早く終了。やれやれです。


10月29日(金曜日)

5:00出勤。有明→昭和島→有明→大和→厚木→国立→品川→有明。いつもは混雑する国立の倉庫も比較的空いていた。思ったよりも早く帰宅してやれやれである。

写真は大和市内での納品風景。


10月30日(土曜日)

4:20出勤。有明→高崎→有明。土曜日はこのパターンが多い。仕事的には楽なので土曜日はこのペースがいいかな?思ったよりも早く積込が完了したので帰りははなもりで食事。と言っても通り道だからね。このくらいの余裕はなくちゃだな。


10月31日日曜日

寝坊と言っても8:00起床。本当は昼くらいまで寝ていたいが、普段の起床時間からいったらこんなもんだな。早い時間ははテレビを見て過ごし、昼前から仕事に使う作業着なんかを買いに行く。昼飯を済ませて帰ってきたら寝てしまった。気が付けば夕方である。今日の夜から出なければならないので、体調管理の面では結果オーライかな?

新潟中越地震の被害状況が明確になった。週刊誌等の記事もチェックするが、お粗末な面、阪神淡路大震災の教訓が生かさされた面など様々だ。週刊誌の記事で気になったものが一つあった。地震発生直後から携帯が繋がらない事が書いてあり、これによりパニックとまでは行かないが、被災者がかなり不安になっていたと言う。連絡が取れないと言う事は精神的にかなり辛いだろう。でもね、携帯電話ってすぐに繋がらなくなるものだ。大体、電波状況がよくたって、電話に出ないヤツは沢山いる。仕事上で携帯番号を公開していても、知らない番号は出ないなんて抜かすヤツまでいるのだ。今回の話とはちょいと外れてしまったけどね・・・

私が携帯電話が全く繋がらなくなった経験と言うのは、一度だけある。桐生のお祭りに行った時の事だ。祭りが終わり、買い物をして友人の家に集合する事になった。段取りは出来ている。しかし言い忘れた事があり、電話をしてみたが全く通じない。あげくの果てに混線までする始末だ。まだDoCoMoの回線を使っていて、アナログ回戦がちらほら残っていた時代である。仲間内はほとんどデジタル回線であったが、二人だけアナログ回線がいた。このアナログ同志は回線が空いていたようで、通話が可能だったらしい。何年も前の話だが、阪神淡路大震災の時のように、携帯電話が連絡方法の一つとは行かない。あの時とは比べ物にならないほど普及している。一遍にかけたら回線だってパンクするのである。今回のような大きな地震だけでなく、突然の集中豪雨なんかだってこれに近い状態になるのだろう。携帯電話なんてそんなもんである。

流石に、食料なんかは被災地に行き届いているようだ。ラジオなんかを聴いていても、何が必要か論じている。今回私が聞いていて目立ったのは、精神的なケアの必要をといている人が多い。そして、物資の面でも質と言うか、嗜好品の配付の必要性も説いている。そりゃそうだ。昨日までの日常があり、突然地震が来たからって、あれは我慢しろ、これは我慢しろ、じゃあまりにも悲惨だ。地球規模であの状態になっているのならともかく、一歩外にでれば普通の生活があるのだ。地震が来たからって、楽しみにしていた晩酌や煙草、甘いものを眼しなくては行けないの?チープな精神論はいらないのである。

そして、これから周りは何を出来るのかと言う話も沢山でていた。詰まるところ必要なものは何か?結果“金”である。家を建て直さなきゃいけない、クルマを買い直さなければならない、みんな金である。今回の地震でわりとこういった本音が言われている。こういう時こそ、笑いだとか、映画だとか、娯楽も必要だと思うんだけどね。そういうものはドンだけ行くのかな?

そしてこんな状況の中で、土砂の中から子供が生還。母親と娘さんは亡くなってしまったが、この生還は何か勇気となるな。まさに奇跡の生還だ。

イラクで拉致された日本人青年は、残念ながら遺体で見つかった。前日見つかった遺体は別人であったので、もしかしたらとも思ったが、結果は最悪の状態である。私が知ったのはザ・サンデー終了間際のニュース速報。“K(実際は実名)さんと確認”とでた。そして、サンデージャポン開始と同時にこのニュースから入ったが、TBSは身元の確認が出来た事をこの時点ではつかんでなかったようだ。しばらくしてから身元確認を伝えた。さすがに死者を中傷するような事は言っていないが、どのメディアもイラクに単独で入国した事に、疑問を投げ掛けている。そりゃそうだ、あんだけ退避勧告が出ているのにである。しかもイラク入りする前に、ヨルダンで散々引き止められていると言うではないか。あまりにも世間知らずであったと思う。でもね、そうは思うけど何も実家に誹謗中傷の電話を入れる事はないじゃない。その誤った行動と、“死”は別の問題であるし、遺族の悲しみは大変なものである。匿名で自分の欲求を吐き出すための悪戯電話なんて何とも寂しいではないか。




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