2004年12月の日記


12月1日(水曜日)

前日、配車を聞いたら大洗スタートだという。有明→大洗→安中→品川→有明。このルートで仕事をこなさなければならない。11月30日の21:00に資材を積み込み、ヘッドで自宅に戻り食事と入浴を済ませて大洗港へと向かった。途中仮眠を取りながら、大洗に到着。ひたすら国道50号線を走り安中にも到着。そしてひたすら品川に向かい、ヘベレケになりながら到着。疲れた・・・それ以外なにもなしです。


12月2日(木曜日)

7:00出勤。有明→江戸川→品川→船橋→有明。売り上げには結びつかないが、取りあえず楽な仕事でホッとしている。17:00からミーティーングがあり、それに参加して、終わりです。

写真は品川埠頭で撮ったもの。日産の新型車のCM撮影のようだったが、私には一生縁のないクルマだな。


12月3日(金曜日)

5:30出勤。有明→品川→座間→厚木→国立→品川→有明。思ったよりも早く終了。これといってなにもなしです。


12月4日(土曜日)

6:30出勤。有明→江戸川→品川→品川→有明。早朝からトラブル。北海道向けの荷物の集荷に行くのだが、シャーシのタイヤが丸坊主。あちらは雪が降り始めており、そのようなタイヤで集荷に行っても、向こうで配達出来ないとのお達しが、昨日あったばかりだ。朝っぱらから配車係に電話しまくりで、シャーシを変更。やれやれである。

仕事自体は午前中に終了。急遽会社の忘年会となった。と、いっても3人だけだがね。場所は新橋のトッポリーノというところ。俺一人じゃまず入らないようなこ洒落たところだ。ワインの味なんて解らない俺でも、おいしい物を出してくれれば酒もすすむ。仕事の話が中心だが、楽しく過ごせたのはよかった。上司のリクエストにお答えして、何を食ったかなるべく写真に載せるようにしよう。


12月5日日曜日

ほとんど外に出ない状態。カブのオイル交換をして、コンビニと夕食に出たくらいか?そのコンビニに行く時に、代車で使用しているキャロルの異変に気付く。なんと昨日の突風で、リアスポイラーがもげて飛んでしまったのだ。それだけ夕べ風は凄かったのだろうけど、吹いた方向も悪かったんだな。クルマを逆に止めていれば防げたかな?

夕方、上司から電話が入る。何でもこの天候で船のダイヤが目茶苦茶らしい。私の仕事は影響なさそうだが、同僚の仕事は飛んだらしい。12月にこの天気は無いよなぁ〜気温も20度を超えたみたいだし。そして明日は寒いと来た。12月なのだから当り前だが、寒暖の差が激しいのは辛い。

先週もヨン様騒動であった。帰国の時も相当な騒ぎになったが“全くも〜”である。この辺の事は木曜日発売の週刊文春に詳しく書いてあったが、笑ってしまうというか、呆れてしまうというか・・・一番痛かったのは冬ソナのロケ地に行き、そこで妖怪同志が役になりきり、冬ソナプレーをするというのだ。もちろん韓国語の台詞を丸覚えするという。痛過ぎる・・・風俗店で痴漢プレーをするのとは微妙にずれているような・・・何れにしろこの手のプレーには、興味を示さない私としては理解出来ないのである。何でこんな異様な状態になれるのか?精神科医の分析が書いてあったが、ヨン様に心酔するファン達は恋に恋している乙女の状態だという。今どき中学生でも、そんな女はいないと思うのだが・・・長い間夫から女として扱ってもらえず、あの臭い冬ソナの純愛(見てないけど)にはまってしまったというのだがね。臭い純愛ドラマで、恋に恋してしまう50代かぁ〜ますます理解不能である。でもね、何回もいうが、この事をきっかけに日韓の交流が深まるのはいい事だと思う。複雑な歴史的な背景があり、ずっと政治レベルでも民間レベルでもぎくしゃくしてきた日韓関係だ。ヨン様をきっかけに変わればいいな。でもね、歴史的な背景は忘れちゃ行けないけど、あのヨン様騒動を起こした妖怪の事は忘れてしまいたい。

写真は本日の夕食。ロイヤルホストの鉄鍋焼きサーロインステーキご飯オニオンペッパーソース。


12月6日(月曜日)

3:00出勤。有明→豊島区→有明→品川→品川→有明→品川→有明→稲城→有明。最後の稲城は予定外であった。今日は近場ばかりなので、多少納品に時間がかかっても、そんなに遅くはならないだろうと踏んでいた。そして予想以上に早く終了。午前中に全ての納品を終えて戻ってきたのだ。こんなことってあるのか!!まぁ〜ゆっくり休むかと思ったが、一件行ってくれとの事で稲城へ・・・働けるうちに働くさ。この不景気だからね。明日はその稲城からの荷物を松戸へ運ぶところからスタートだ。


12月7日(火曜日)

7:00出勤。有明→松戸→袖ケ浦→有明。比較的余裕があったので、ゆっくりとランチ。その時に元祖エツオ・イチハラさんが顔を出してくれた。お互い不景気な話で終始した。情けないな・・・

いつも通りカブで帰還したのだが、家の1キロ手前でパンクした。釘のような物がしっかりと刺さっていたのだ。休みの日まで持って行けないので明日からはクルマか・・・行きはいいけど帰りの渋滞がなぁ〜


12月8日(水曜日)

5:30出勤。有明→横浜→横浜→有明→稲城→有明。これといって何も無しです。


12月9日(木曜日)

3:20出勤。有明→足利→高崎→有明。高崎到着までは全てが順調。怖いくらいであった。しかし、高崎の工場で、設備の故障で荷物が出てこない。結局、久喜から高速で帰って来る羽目になった。所詮こんなもんか。


12月10日(金曜日)

3:20出勤。有明→鹿沼→品川→有明→大黒→品川→有明。とにかく鹿沼からの帰り道が混んでいた。高速を使ったのにさして効果無し。ただ救いだったのは、大黒の倉庫で積み込みの便宜を図ってくれた事。ま、いい事もあるさ。

翌日の配車を確認したらなんと静岡行・・・クルマで泊まる事にしたのである。写真は家に帰らなかったので、夕食で食べたロースカツ定食。


12月11日(土曜日)

車内での仮眠はあるが、家に帰らないで泊まるのは初めて。結構眠れないもんである。ガソリンスタンドで燃料を入れ、そこのシャワーを使う。取りあえずは、さっぱりするが眠れない。正味2時間くらいか?それも寝坊である。有明→清水→有明。この調子ではまともに走れないと思い、高速に乗る。結局全線高速に乗り、俺の取り分はほとんど無し。赤字でない事が救いか?帝国に到着して荷卸しをするが、やたらと品物が細かい。それでも、なんら問題なく終了して戻って来ました。帰りに異様に眠くなり2時間の仮眠。やれやれである。


12月12日日曜日

たっぷりと12時間は寝ただろうか?カブのパンクの修理に近くのバイク屋まで行く。タイヤもすり減ってきたのでチューブとタイヤの交換を申し入れた。すると今はプレス用のタイヤがあるとの事。プレス用のタイヤとは、クルマで言えば乗用車とライトバンのタイヤの差がある。今回のパンク程度なら防げるであろう。少々高いがこいつに決めた。チューブも最新バージョンの二重構造のヤツにしたしね。

そのアシで秋葉原に出向く。大した買い物ではない。単3、単4の充電器が壊れたので購入しに行く。それだけの事だ。戻って昼寝してまたバイク屋に行きカブを引き取る。カブの事はまた改めて書くかな。

何度となくヨン様ネタを書いていたら、何でヨン様を毛嫌いするのかと聞かれた。別にヨン様自身に嫌悪感は抱いていない。それどころか、日韓の平和大使くらいに思っている。私が毛嫌いしているのは、ヨン様に取り巻く妖怪達であるのだ。その妖怪達の話題をまたしても目にした。何でも前号の週刊文春の記事に意味不明な抗議をしたとか・・・あの記事は私も読んだが、ヨン様に対する批判ではない。それなのに批判するなと抗議が殺到したそうだ。読解力の無い妖怪には困った物である。

IBMパソコン部門を売却するという。大きなニュースではあるけど、私は全く驚かない。今どきどう考えても、この手のハードはもうからないと思う。秋葉原での値段を見てもそうだし、普及段階で白物化していたように思うから、商売としては難しいだろう。よくどこのメーカーがいいのかと聞かれるが、Windows搭載機ならどれも一緒と答える。液晶画面の善し悪しはある程度あるけど、後はどこに差があるのか?VAIOなどデザインで差別化を図っているが、好きならそれを買えばいいし、そうでなければ予算の問題であろう。初めてパソコンを買う人に、特化したハードはいらないしね。


12月13日(月曜日)

前日22:00出勤。有明→白河郡→鹿沼→品川→有明。またしても眠れそうになかったので、床に着かずに出勤。まぁ〜難なく終了。でも高速を沢山使っちまった。その一つの原因が、矢板-白河が半額で利用出来る事だ。ここ何年か実験的に国土交通相が行っている試みだが、1月9日までこの区間の乗り降りに限り半額である。ETCを搭載していなくてもOKだし、全ての車種に適応される。こいつを利用しない手は無い。でもなぁ〜行きも帰りも使うとは・・・往路も荷物があったし、まっ、いいか・・・

写真は矢板TSでの食事。夜食というか、朝食というか・・・こいつを食って仮眠した。というか、寝過ぎてしまい余分な高速を使う羽目となったのだ。


12月14日(火曜日)

3:00出勤。有明→花園→有明。今日の仕事は一本。バラ積みであったが、荷物が軽いのと、フォークマンが荷物を理解していたため、指示通り積めばよかったので楽であった。おまけに帰りの道も空いていたしね。想像以上に早く終了です。集貨場所がキャロルのすぐ近くだったので寄ってきたが・・・こっちを見てください。写真ははなもりのランチ。あっち方面の定番だな。


12月15日(水曜日)

3:00出勤。有明→山武郡→春日部→習志野→船橋→有明。山武郡の納品場所に着いた途端トラブル。どうやらここで全部下ろせないらしい。九州からの連絡が悪かったため、山武郡と春日部の2ヶ所下ろしという事が伝わっていなかったのだ。結局会社が高速料金を持ってくれる事になり、春日部へ向かった。私としてはよかったのかもしれないが、やれやれである。


12月16日(木曜日)

2:40出勤。有明→高崎→有明→品川→品川→有明。高崎での集荷が以外とスムーズに終了。今日は早く帰れるかと思った。しかし品川の納品場所が混雑していたため待たされる。結局それなりの時間であった。


12月17日(金曜日)

3:00出勤。有明→川崎→岩井→佐野→立川→有明。思ったよりも早く終了。それなりに高速も使ったがね。浮島から三郷まで高速に乗り、岩井を目指した。流山街道に入り、野田有料道路が夜間は無料だった事を思い出す。大した道路ではないが、使わない手は無い。ところが、無人の料金所に人がいる。夜間が無料だった事は今は昔のようだ。ちなみにトレーラーは特大なので730円もとられた。これが凄く悔しいな。

社会は色々ある様だが、そろそろ寝るかな・・・(-_-)_zzz


12月18日(土曜日)

3:00出勤。有明→武蔵村山→有明。キャロルに代車を取り換えに行かねばならないので、早めに上がれる配車に代えてもらう。ところがこの武蔵村山の納品先は結構厄介らしい。早めに行って順番を取らないと凄く待たされるとの事。それゆえの早めの出勤だ。5:00に到着したが3番目であった。私より前の人間は長距離便か何かで、すでに前日の夜に入っていたから、私が実質上の一番であろう。その一番を取った甲斐あって8:00からの荷卸しが一斉に始まり、私は9:00前に倉庫を出る事が出来た。そして私の後ろには何十台ものトラックがいたのである。順番取りは無駄な時間だけど、その分睡眠時間に充てたと思えばいいかな。

有明に戻ってきてから簡単な作業をしてから、燃料の補給とオイルを足しに行った。結局深谷に向けて出発できたのは14:30である。

なぜゆえにキャロルに行ったか。それは今借りている代車の車検が切れるからである。早い話代車を代えに行くだけだ。今度の代車もマツダのキャロルだが、新しい分ものはいい。そして、ピンクではないけど、別の意味で笑えるのである。

写真は有明の食堂で食べた定食。これで900円だ。


12月19日日曜日

NON GATE THEATREの公演(手づかみ)に出でかける。相変わらず笑いあり、涙ありで面白い。23日のねずぶりも楽しみである。

その公演を見る前に番紅花でじぷしぃさんと落ち合う。マスターと三人で談笑した。これまた楽しい時間である。公演には3人で出かけたが、帰りは私は早々と退散した。明日の朝は静岡である。今日の夜に早めに出発したいからね。

先週も色々あったな。奈良の幼児誘拐殺人事件は、未だに解決していない。それどころか、犯人はまたしても両親にメールを送り付けていると言う。ますます宮崎事件を思い出す。それにしても奈良県警しっかりしろよと言いたい。まだ捕まらないのか?舐められっぱなしだな。

取りあえず忙しい年末です。


12月20日(月曜日)

前日、22:30出勤。有明→静岡県榛原郡→有明。まぁ〜予定通り終了。静岡行はとにかく疲れるな。


12月21日(火曜日)

3:30出勤。有明→高崎→有明。例によって高崎の一発仕事。出発時間を誤ったようで、早く出たわりには、到着が遅かった。まぁ〜なんの支障もなかったけどね。そしていつものところで飯を食う。とっとと寝るか。


12月22日(水曜日)

5:30出勤。有明→昭和島→品川→座間→厚木→国立→品川→有明。朝、ヘッドに乗り、エンジンをかけると燃料計がEを指している。おまけに黄色いランプまで付いているのだ。それこそ前日に口まで燃料タンクを一杯にした。まぁ〜古いヘッドだからしょうがない。出発まで何度か再起動させたが、この故障とおぼしき状況が打開されないので、念のため燃料タンクを開けてみると、ほとんど燃料が入っていない。やられた!!凸(`_')とにかく燃料を入れ気を取り直して仕事を始めたのである。その後の調査で、犯人の見当はついた。後は追っかけ回して捕まえるだけだな。君が最も嫌がる方法で追い込みを掛けてやるよ。犯人君。

そうは言っても予防策も立てなければならない。鍵付きの燃料タンクのキャップを早速購入した。しかしトラックの燃料キャップって何で鍵がついていないのだろうか?不思議だ・・・

座間から厚木に向かう途中の県道が、異様に混んでいた。年末の工事か?事故か?マンションの建設現場の前にトラックが止まっていたりもしたが、これは大した事はない。その先で起こっていた事故が一番の原因のようだ。写真はその様子だが、どの様にしてぶつかったのか?まぁ〜いずれにしてもいい迷惑だけど、明日は我が身である。


12月23日木曜日

19日に引き続き、NON GATE THEATREの公演に行く。今回はねずぶり。そして例によって番紅花に顔を出す。現在試作段階でお試し期間中の値段と言う事で、豚ごろカレーを頂く。安い分意見をくれとの事。900円で出すところを750円だ。私が行く前に大道無門 呑芸徒の小田氏が食べたようだが、少々意見が分かれた。まぁ〜それぞれ私見だからどちらが言い、悪い、美味い、不味いではない。個人的には、この味が気に入ったけどね。こんなんで私の休日は終了です。


12月24日(木曜日)

有明→品川→瀬谷→有明→品川→有明→総和町→品川→有明。出勤したら三本目の仕事が替わっていた。それはそれでいいが、やはり休日明けの年末だ。異様に道路が混んでいる。高速を使ったにも関わらずとんでもない時間になった。疲労感一杯です。

写真は有明の納品が昼休みにかかったため、とった食事。おかげで1時間昼休みは取れたが、こいつが大幅なロスになった。


12月25日(金曜日)

4:00出勤。有明→芳賀→有明。2台口の1台。問題なく終了した。久し振りに大佐のライブに行き、元気をもらう。でも帰りがよくない。眠くなったので首都高の代々木PAでちょっとウトウトしたら朝になっていた。何とも間抜けだ。


12月26日日曜日

(-_-)_zzz


12月27日(月曜日)

4:00出勤。有明→昭和島→有明→霞ヶ浦→習志野→品川→有明。昭和島に燃料を入れに行ってからのスタート。仕事は無事終了。

昨日起きたインド洋での地震は想像以上の被害になっている。最後の最後まで“災い”に振り回されている。地球はどうなる!!


12月28日(火曜日)

6:00出勤。有明→江戸川→有明→入間→有明。比較的余裕を持って終了。昼飯もクルマを止めて食べる事が出来た。ところが翌日の仕事が決まってみれば御前崎行きが決定・・・(-_-;)


12月29日(水曜日)

前日21:20出勤。有明→御前崎→昭和島→有明。仕事納めが御前崎・・・諦めて高速に乗る事にした。行きは全線高速を利用したため、ほぼ俺の取り分は無し。自分が不甲斐ない部分もあるので仕方ないな。天気は予報通りで、帰りは雪となった。箱根新道はチェーン規制が入っており、大型トレーラーは通行止めとの事。こっちは使わないからいいけど、R246も雪模様。幸いチェーン規制はかからず、走っている分には雨の状況とさして変わりはなかった。左の写真は、御殿場警察署前で撮影。

昭和島で、給油をして全ての業務終了。スケジュールが合わなかったのでいつものメンバーとは行けなかったが、東邦酒場で食事をとる。久々のラーメン、絶品であった。あ〜眠い。


12月30日(木曜日)

ゆっくりと起きて(といっても7:30)あれやこれやと、せわしなく動く。ちょっとした買い物、掃除、床屋こんなところだ。江東橋さんからカレンダーが届いていたのは嬉しいな。そして奈良の幼女誘拐殺人事件が解決に向かっているようだ。亡くなった女の子は戻ってこないが、解決は解決だよなぁ〜都内にちょいと出かけて戻ってきてから、システムの入れ替えに取りかかるが、Golive がうまく動かない。結局解らないまま寝てしまった。翌日になって解った事だが、GoliveCSの2枚あるCDのうち、違う方を使っていたようだ。何とも間抜けです。

今年も色々あったが、何と言っても私にとっての一番の出来事は転職だろう。でもなんで、やめた事に対する後悔と言うか、振り返る事があまりにも無いのだろうか?不思議である。

やめた理由はいたってシンプルだ。ようは金の問題です。残業が一切無くなった。これにより私の所得は年収ベースで100万円以上のダウンである。これは、どの役職も一律であったし、私だけの問題ではない。事実、私の同僚も同じ処遇であった。これが、私自身リストラの対象になっていたら、もう少し会社にしがみついていたかもしれない。なぜならばリストラ対象になるような事はしていないし、その前に切らなきゃ行けない人間はたくさんいたからね。

転職自体を具体的に考えるようになったのは、今年に入ってからだ。4月には37になるのにどうしたもんかと悩んだ。でも37になる時に退職する意向を上司に伝えたのだから、決める時は決めるよね。大型とけん引免許を取得する事もこの時点で決めていたしね。

メンタルな部分も無いわけではない。上司との折り合いは相当悪かった。でも森永卓郎氏の本ではないが、嫌な上司はどこへ行ったっているのである。そう思ってやってきた。そう思ってきてやってきたが、あの男はどうひいき目に見ても“気違い”である。それでもそれなりに、かわしてきたつもりだ。しかしその気持ちが切れる事件が起きた。

去年のお盆くらいから、連続して一緒に仕事をする事になった同僚がいた。降格左遷という形で、私がいた部署に来たのだ。はっきり言えば好きなタイプではなかったと思う。仲も良かったわけでは無い。しかし、同僚として、人間として最低限通じ合えるものは持っていた。その同僚が体調の不良を訴え始めた。その時一緒に都内で仕事をしていたのだが、「この仕事が終わったらちゃんと病院に行くように」と口うるさく言っておいた。結局彼は病院には行かず、私とは別行動になった次の現場で倒れる事になる。いい状態でなかった事は解っていたが、こっちだって自分の日常生活が優先だ。9月に倒れた彼を初めて見舞ったのは、12月に入ってからだったかな?久し振りに会う彼は、あまりにもやせ細って、私も驚きを隠せなかった。この日を含めて3回ほど見舞ったが、何を話しかけても空しい。本人の口からも、ネガティブな事ばかりが発せられる。その彼がこの世を去ったのは、年が明けて、1月3日になってすぐの事だ。長くは無い事は解っていたが、何ともやり切れない気持ちだった。私と二つしか変わらない年齢である。そして同僚がこの世を去った事よりも、凄く悲しい事が起こるのである。

まず、彼が亡くなった事を最初に知ったのは、後輩社員からのメールだ。正式なルートよりも早く伝わる事なんて、世の中には沢山ある。これに関してどうのこうのじゃない。数時間して一応私の上司と呼ばれる人間から電話がかかってきた。その内容が押しつけがましいというか、もったいつけるというか、恩着せがましいというか・・・「お前はあいつの事を気にかけてたみたいだから教えてやる」こんな言い回しであった。おそらく今、そいつに聞けば「そんなつもりで言ったのではない」と言うであろう。しかし私にはそういう風にしか聞こえなかったのである。この電話の主は“気違い”の腰ぎんちゃくである。そして、正式なルートで彼が亡くなった事を知らされたものは誰一人としていなかったのである。

あきれ返ったこの電話で、通夜と葬式の事も聞いたが「どうせ出られないでしょ?」と来たもんだ。出られないでしょじゃなくて、俺の仕事の都合をつけて部署全体で出席するのが筋であろう。事実通夜と葬式の時は船橋で別の部署の人間と、仕事をしていたのだが、「出席しなくていいのか?」と聞かれた。もしここで通夜に出席しょうものなら、何を言われるか解らない。こんなことを書いても誰も信じてはくれないかもしれないが、そういう人間が頭にいる部署であるのだ。花や、香典を出して四の五の言われたんでは死んだ人間が浮かばれない。この時一緒にいた、同じ部署の部下と相談して弔電を打つにとどめたのである。これに対してはやたら申し訳なさそうな口調で、例の気違いから電話が入った。わざわざありがとうといった内容だと思う。お前がそんな事言う資格はない!!

後になってから聞いた事だが、見舞いの際、見舞金を持って行ったのは私だけであったようだ。部長だ課長だといわれる人間が手ぶらで行くなよ。社内的にそういった金の絡む事が禁止されていた事は事実だけど、それとこれとは違うよなぁ〜

冷たい言い方をすれば全て他人事である。でもこの事があってから「死んでもあんな扱いなんだから、生きてここにいても高が知れてる」そう思うようになったのだ。そして給料の大幅ダウンと来て、その事に対する説明やフォローは一切ない。もう少し早くやめておいた方がよかったかな?

現在、曲がりなりにもトレーラードライバーとしての日常がある。大変な事もあるし、嫌な事も無いわけではない。でもなぜか、もう少し我慢してあそこにいればよかったとは全く思わないのである。自分でもちょっと驚いていて、やめない方がよかった事を考えたりもしたが、イメージが浮かばない。8年半も勤めたのに、後悔もしないなんて、こっちの方が寂しいな。


12月31日(金曜日)

一昨日に続いて、またしても東京地方は雪に見舞われた。首都高は全面通行止めになったそうだ。仕事がない時に降ってくれた事でヨシとするか。チェーンを持っているとはいえ、東京の雪の中をトレーラーで走るのはご免だ。でもそういうシュチュエーションあるんだろうなぁ〜

昨日からゴタゴタしていたシステムの入れ替えは無事終了。ほったらかしになっていた、ファームウェアーの更新も終了したので、これでスリープ絡みの不具合も解消だ。それにしてもこのファームウェアーの更新はちょいと厄介だった。Apple社以外のRAMを全て外さなければならないのだ。メモリだけでなく、PCIスロットルに刺さっているUSBカードも抜いた。大晦日にとんだ作業をしたもんだ。

今日は紅白でも見ながら(本当は大してみないと思うけど)チャットで待機するか・・・




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