2013年10月の日記
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10月1日(火曜日) 日々平穏終了。15:00にNYK VPに並んだが様子がおかしい。この時間なのに、中央陸橋の上、R357を超えている。吸い込みも異様にわるい。本当にNYK VPの並びか?結局小一時間並んで抜ける。有料で差し替えて別の返却にいきました。 比較的早く終わったのでハッスルに行こうと思った。でも定休日。何だかね。こういう日もあるさ。写真は城南島三菱VPの並びから撮影です。 安倍晋三首相、来年4月から消費税8%引き上げを決定。色々な見方が有るけど、上がることには違いない。 10月2日(水曜日) 特に何も無し。台風の影響で、ずっと雨が降っていたな。FacebookとtwitterのTLは夕方出た虹で埋め尽くされた。一時の事だけど・・・ 俺も便乗して軽くアップしておくか。品川埠頭からレインボーブリッヂです。後は久し振りにハッスルしてきた。そんなとこです。 10月3日(木曜日) ボロボロになったiPadカバーを交換した。Amazonに注文してあった物があ、前日届いたのである。ま、特にこれと言った感想はない。本体同様、使えなくなったら取り替えるだけです。 10月4日(金曜日) 仕事の方は特に何も無し。あっ、翌日の新潟行きがなくなって、月曜日の伊那行きに変更になった。どっちでもいいけど、流れ的には伊那の方が良かったのか? ここのところ、JR北海道の事故とそれにまつわる様々な事が報道されている。毎度の事ながら、色々出てくる。切りが無い。驚いたと言うほどではないが、数字を見せつけられてうーんと唸ってしまったことがひとつあった。JR北海道の経常利益(この言葉であっていると思う)が、相鉄よりもちょっと上回る程度だとか・・・相鉄って、わりと最近まで中小私鉄に数えられていた会社だ。横浜を起点にそれほど長い営業距離を保持していない。これじゃぁ〜苦しいよなぁ〜不思議な数字だとは思わないけど、突きつけられるとハッとする現実です。 それから木曜日発売の文春。労組の問題が取り上げられている。この記事に関して言うと、やっぱり・・・ってのが俺の感想です。この手の事はデリケートだからか?それとも視聴者受けしないからか?記者倶楽部メディアではあまり取り上げられない。だから週刊誌やネットで情報を得るようになる。 組合とか労組という言葉で私が連想すること・・・それは御用組合か、組合運動華やかし頃の、化石のようなものしかないのか? こっちは同じ木曜日発売のモーニング。福島第一原子力発電所、通称フクイチで作業員として働いた人が書いた現実です。フクイチと巷では呼ばれているが、あちらでは“いちえふ”と呼ばれているらしい。カメラがなかなか入れない場所なので、漫画ってのがリアルでいい。この中に週刊誌の記事の捏造?のことも書いてあった。捏造は言い過ぎかもしれないが、都合のいいように記事は書かれていたってことね。その記事を俺も知っているからなるほどと思ったよ。 このところ、モーニングはイマイチだった。久し振りにいい読切を載せてくれましたね。 10月5日(土曜日) 土曜日だけど、一日中バッチリ仕事していました。仕事があるうちはいいやね。やはり前後関係からいって、今日行くしかあるまい。そして父になるをレイトショーで観てきました。前評判通りのいい作品でした。血を選ぶか?共有した時間を選ぶか?まさに究極の選択を強いられるわけで、考えさせられましたね。そして是枝裕和監督は、かなり綿密な取材をしたと思われます。これも損の無い一本です。ちょい役だったけど、中村ゆりという女優はいいね。尾野真千子・真木よう子が中心だけど、忘れられない一人です。以下備忘録として、Wikipediaから引用します。 『そして父になる』(そしてちちになる)は、2013年制作の日本映画。是枝裕和監督。主演の福山雅治が初の父親役を演じた。 野々宮良多(福山雅治)と妻みどり(尾野真千子)の間には6歳になる一人息子慶多(二宮慶多)がおり、家族は幸せな日々を過ごしていた。 ある日、慶多を出産した病院から「重要なお知らせがある。」と呼び出される。 出生時、ナース(中村ゆり)の悪意により子供の取り違いが起き、慶多が実の息子では無いというのだ。 ショックを受ける良多とみどりだが、取り違えられたもう一組の夫婦、斉木雄大(リリー・フランキー)ゆかり(真木よう子)と対面した良多とみどりは、 病院の提案で実の息子である琉晴(黄升炫)と慶多を交換することを前提に話を進めていく。 6年間愛してきた他人の子供と、血の繋がった実の息子。 子供を交換するのか?このまま育てるのか?良多達は葛藤していく。 10月6日(日曜日) とにかくお題を撮りに行かなきゃ。出かける準備をしていると同時に、親分から狼煙(のろし)が上がる。上野公園西郷さんの下で待ち合わせ。藤原海苔太・ボボ青汁・弘子姉ちゃん・池田龜太郎の面々。親分合流して上野周辺をウロウロです。 親分が到着するまでの間に撮影。ハーフ?外国人?の男の子がいたずらしていました。 上野公園のこの大きな噴水が俺は好きだな。休日の雰囲気がいいのよ。皆リラックスしてここに座っている。そう言えば休日って年間のお題が出た時はここで撮影したっけ。 不忍池からアメ横へ行き、色々見て回る。アメ横カメラに立ち寄って、親分の知り合いもいたりして、ちょっと長居。ジャンクコーナーを物色すると・・・ ちょいとお古い、SIGMAの28mmkマウントを発見。よく見るとそのまま使えそうだ。1500円とあったのでゲット・・・と思いきや、親分と一緒の人間だからということで、いただいてしまう。申し訳ないです。アメ横カメラさん、今度はお客としてちゃんと何か買います。 この後ティアラさんも合流してだん家で楽しい反省会。ただ俺は仕事があるので退散。夜中から走らなきゃいけないからね。そうだ、提灯はどうなる!! 10月7日(月曜日) 伊那市に往復するだけの仕事です。久し振りの長距離扱いの仕事ですね。ちょっとびっくりしたのは、NHKラジオ第一の入りが悪い。トラックの純正ラジオで、しかもいつでもどこでも皆様のNHKの入りが悪いとは・・・アンテナが壊れたのかと疑ってしまった。長野の19県道と山梨県との県境の国道20号はダメだったね。らじるらじるを併用していました。 午後のまりやーじゅはゲストがなべやかんさん。こういうなぎらさんに、マッチしたゲストの時は、とても心地良い。毎回こうだといいのだけど・・・ 休憩時間に宣教師君のつぶやきに注目した。詳細は省くが、契約内容を変更した時に、パケット料金が青天井で上がる設定になっていたというものです。宣教師君は自分の落ち度というか、反省点を上げていたが、そこはあまり考えなくてよろしいかと思う。 契約変更の時にどの様なやり取りがあったかとか、何を言った言われたなどは関係ない。パケットが、青天井になる契約をしてしまうショップ側に問題があると思う。どんな契約変更がなされようが、ここはショップが抑えなきゃ店頭に行った意味がないよ。 大して使わなくても、パケット料金ってすごい料金になるものだからね。パケ放題の保険をかけるのは当然だし、一言この契約だと青天井になるという説明をしなくてはいけない。 もし、「お客様が納得してサインされましたよね?」などと突っぱねて来るようなら、携帯電話の契約変更に弁護士を連れて行くような社会になる。まぁ〜これは大袈裟な例えだが、パケット料金が青天井になる設定は問題外と再度主張しておこう。 で、こう言う事にまつわる防御をしておこう。パケット料金が、青天井になるならないの説明くらいはしてくれる社会だから、日本はアメリカほどの訴訟社会になっていない。これが前提にあります。 なので、「サインしたからしょうがないじゃないか」だとか「だまされる方が悪い」などの言いがかりはやめてもらいたい。私の知っている範囲で二人ほどいるので、お前らに言う。貴様らの様に人の揚げ足を取って、なんでも屈折した主義主張を通そうとする生き物では無い。人種が違うと言うより、同じ人間じゃないんだな。哺乳類という意味では仲間かもしれないが、同じ霊長類じゃ無いのよ。そこのお二人さん!!凸(`_') 10月8日(火曜日) 昨日、大井2号の並びに台切ったコンテナの搬入からスタート。せっかく昨日台切って早く入ったのに、中が目茶苦茶混んでいる。出てきたのは9:40だ!!何だよ全く・・・ 午後から行った相模原のデバン先は、これまた狭い。確認してから行ったから良いけど、やたらと入って行けないよなぁ〜・・・そんな場所でした。写真は大井2号の搬入待機レーンに入ったところね。 久し振りにハッスルしてきました。続けて行けるといいのだけどね。 10月9日(水曜日) ヤードもそれほど混んでいないし、比較的暇なのか?こう台風が続けざまに来ると、船の運航はめちゃくちゃだろう。それも影響しているにかもしれない。 ちょっと前に週刊文春に、飛鳥氏の薬物疑惑の記事が出た。その記事を読む限り、本当だったら相当やばいなというのが俺の印象でした。 そして約二ヶ月後、飛鳥氏の方からコンタクトがあり、文春のインタビューに応じたという。で、この記事を読んだ俺の感想はというと・・・このインタビューが全てで、これで終わりになるんだな。そんな感じでしょうか?どの世界でも、力のある場所に身を置いた方が良いと言う事か? 10月10日(木曜日) 前日、車庫の近くに台切った。そのコンテナのデバンが終わる頃出勤せよとの事・・・10:00に出勤しましたよ。新記録の遅い出勤かな?17:00前に帰庫して、ハッスルしてきました。 10月11日(金曜日) 朝一のデバンは多古町。通常の業務なのだが実は温い。午前中いっぱいデバン作業をするので、その間ずっと寝ている。返却のコンテナを一旦台切って、実入り搬出。台切った空VANを第一港運品川Bに返却するのだが、ヤード通り生コン屋Uターンからの並びでした。ま、いいけど・・・そんなあきらめモードの中事務所から、イレギュラーの仕事の依頼が・・・二つ返事でOk出しました。翌日愛知県みよし市に午後着だって。仕事があるうちにやっつけます。 10月12日(土曜日) 三連休の初日になるから、前日の22:30に車庫を出た。行きも帰りも全線高速OKなのだが、悲惨な渋滞に巻き込まれたらいやだからね。それでも13:00着だからどうにでもなりそうなもんだ。途中たっぷりの仮眠を取って8:30愛知県みよし市に現着です。 ここでちょっと???地図で確認すると大きな倉庫だった。ただ入り方がちょっと微妙な感じだったので、電話で確認する。私は初めて行くところは、ほぼ先方に確認を入れてから行くようにしているのだ。トレーラーの入り方とでも言うのだろうか?「トレーラーはこっちから入って下さい」みたいなところは多々ある。今回もそれを想定して電話を入れたのだが、「どっちからでも入れますよ」だって。 ところが一番解りやすい道を行こうとすると曲がり切れない。仕方がないので、バックして第2候補のルートから入った。まぁ〜ここまではいいよ。今度はデバン開始まで待機していると、倉庫の人間がやってきた。「どこから入ってきました?」そう聞いて来るではないの。1から10まで説明して差し上げましたよ。どうやら曲がり切れなかった交差点の民家から苦情が入ったようだ。そして倉庫を取り囲む、周回路のようになっている道路は、通って欲しくないのだとか・・・やっぱり入り方があるじゃん!! 別に先方も四の五の言ってきたわけではないが、こっちは事前にどの様に入ったらよいか、指示を仰いだ事だけは申し上げておいた。 帰りも大した渋滞に巻き込まれる事なく終了です。イレギュラーな仕事だったけど、これはこれでヨシです。 10月13日(日曜日) 東都寫眞團 Tokyo/Japan第30回会合の日。お題は提灯おある風景。いつもの様に西船でボボ青汁さんをピックアップ。少年も来ていて、作品を預かる。行動としては何時ものパターンですね。 この写真はボツネタの寸評風景。今回は出席率が悪くて、ボツネタの数も少ない。ちょっと淋しかったね。 これが私の提出作品。撃沈でした。言い訳するわけではないが、今回は天候に恵まれず、時間がなさ過ぎ・・・だけじゃないな。アイデアも浮かばなかったし、平凡でやっつけになってしまった。 ボツネタ1です。新宿の思ひで横丁。これも・・・ ボツネタ2です。奥の末枯れた建物は床屋さんなんだけど、これと上手く提灯が絡めればと思った次第です。全くダメでした。 反省会と称する二次会は・・・ここにかけない話が沢山出て楽しかったですよ。 10月14日(月曜日) 休日出勤。戸田に行って城南島に台切って13:00帰庫でした。ちょっとサイクルが早かったけど、オイル交換して、ウトウトしながら夕方まで午後のまりやーじゅ聞いてました。JJサニーさんのkawarakojiki発言にはびっくりした。 夜、ドラマを観終わって奥戸商会君の家にレンズと三脚を借りに行く。これで週末は何とかやり過ごそう。 11日にフジテレビで放送された『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件 42年の真実』を鑑賞。“そして父になる”という映画をちょいと前に見たが、その映画に元になった話です。ねじれた絆という本も出版されている。ノンフィクションで、原作者は奥野修司さん!!あの“心にナイフをしのばせて”の奥野修司さんかぁ〜まずはあらすじを引用しておきます。 昭和52年、稲福スミ子(板谷由夏)の娘・美由紀(熊田聖亜)は6歳の幼稚園生。決して裕福ではないが、しっかりとした教育を受けながらすくすくと育っていた。ある日、美由紀の幼稚園の健康診断の結果を受け取ったスミ子は、その内容に不穏な気持ちを抱く。そこには美由紀の血液型が“A型”と記載されていた。クレーン運転士の美由紀の父・茂美(ゴリ)の血液型はB型。母・スミ子はO型。B型とO型の夫婦からA型の子どもは生まれないことは分かっていた。幼稚園のミスだと思った二人は、園にそれを伝えるが結局、保健所で家族全員が血液型検査を受け直すことになる。検査当日、やはり美由紀はA型であり、「夫婦の子ではない」と判明。がく然とした二人は出産した病院に問い合わせるがその結果、本当の娘は近くの町に住む板金業を営む島袋清徳(光石研)と公子(西田尚美)の長女・初美(庵原涼香)だと判明した。この悲劇の理由… これはいいドラマだったし、色々考えさせられた。“そして父になる”は子供を交換したところでほぼ終わる。この映画はこれで良かった。血か?情か?そういうテーマだったんだろうね。でも今回観たドラマは子供を交換した後の事も描かれていて、よりリアルです。端的に言って、フィクションとノンフィクションだな。だから二つの比較はしません。別のものです。色々観るポイントはあるけど、俺なりの感想を書きます。 まずは稲福家と島袋家の比較。 クレーン運転手の稲福家と板金業を営む島袋家、ドラマがはじまったところでは、経済格差というものは無いように感じた。話が進むに連れ、その違いは明確になって行きます。稲福家は教育に熱心で、小学校に入る前から字が書けるように仕込まれていた。交換前に互いの家を行き来するようになると、島袋家で育った初美は箸の持ち方を指摘されるシーンがある。子供を交換した後も、初美(稲福家に来てからは真奈美と改名)は小学校で字が書けなくて、それに気がつかなかった、稲福家の母親スミ子が謝るシーンがある。 取り違えられた子供は昭和46年生まれ。小学校に入学したのは昭和53年である。僕より四つ下の女の子だ。我が家はとても教育熱心な家とは言えなかったけど、幼稚園を出る時はひらがなは全部書けたな。特別な事ではない。なので島袋家の教育レベルに違和感を覚えた。そしてここから両家の格差を意識しながらドラマを観ましたよ。 これに加えて、島袋家の姑もちょっと変というか違和感を覚えた。子供を交換する前に、互いを行き来させるのだが、この時点で不意に取り違えの事をバラしてしまうのだ。その前にも子供を取り違えた事実を聞かされると、嫁を責めるシーンがあるのだが滅茶苦茶である。ボケ老人の設定かと思ったくらいだ。島袋家の悪口みたいになってしまたが、ノンフィクションでこう描かれているのだから仕方が無い。この両家の違いが、後々色んな展開を見せるのである。 島袋家に入った美由紀と稲福家に入った初美改め真奈美 稲福真奈美になった初美は稲福家に順応して、稲福家の子供になって行ったように描かれていた。反対に美由紀は・・・酔っ払って子育ても家事も疎かにしている島袋家の母親公子になつかない。父親に対しても同じだ。ある日公子の酔っ払っている姿と、浮気を匂わせる行動を目撃して稲福家に戻ってしまう。ここで、ここは私の家だという真奈美と衝突してしまう。このシーンは衝撃的だったし、後々この関係は崩れなかったように思う。 この事がきっかけで、稲福家は島袋家の隣に引っ越し、高校卒業まで真奈美と美由紀は友達以上姉妹未満として、互いの家を行き来して、いや、一方的に稲福家に美由紀が居着いて育つのであるが・・・ 最後まで美由紀は島袋家の家の子になれなかったという印象が強いな。これは当事者のインタビューを交えながら展開するドラマを観ての感想です。ラストで二人の合同結婚式の実際の映像が流れるけど、まさにねじれた絆です。罪深い間違いと言う以外、僕には言いようがありません。そんな感想を残しつつ、いいドラマだったと言ってきましょう。 10月15日(火曜日) 八潮市に7:00の約束で行った。ホーム着けて待っていればいいので、時間前に現着して爆睡。8:00頃起きただろうか?誰も来ていない。8:30過ぎにポツリポツリと社員が出勤してきた。聞いてみると、7:00の依頼なんてしていないという。手違いだな。まぁ〜遅刻したわけじゃないし、会社に報告だけして終了です。 翌日に来る台風対策を考えるが、朝一の仕事が車庫から3kmくらいの場所なので、朝まで寝ることにする。考えてもしょうがないや。 10月16日(水曜日) NHKラジオで目覚める。伊豆大島は相当な被害が出ているようだ。東京周辺の交通網も麻痺している。そんな中、会社の先輩ドライバーから電話が入る。車庫周辺はかなり冠水しているとの事。おまけに出勤しても、トレーラーを出庫させられないという。車庫を出てすぐの場所で、2トン車がエンコしているという。とても交わせる状態なので待機中なのだとか・・・参ったね。ちょっと早いけど出勤するか。 出勤しようとクルマで出たが、東中山駅付近から動かない。コインパーキングに入れて、歩くことも考えたが、一旦帰宅してカブで出動です。これは正解です。 結局動かない原因は。原木ICからR357へ向かう道が冠水して通行止めになっていた。その他にも冠水場所は多々あったけど、これが一番でかいな。俺も車庫の入り口で、あわや!!と言う水たまりをカブで越えたのである。 会社に到着するとボスが待っていた。どうやら二トン車はどかされたらしく、何とか出られると言う。それなら後は簡単です。だってデバン先は直ぐそこなんだもの・・・ でもちょっとした難関?は待っていました。こんな感じの冠水場所を二ヶ所ほど越えた。通行止めの規制がかかっていたが、高さのあるトラックは通れるとの事で、軽く・・・でもないけどパス。この両脇にある運送屋の社員は出勤出来なくて近くで立ち往生していました。 車庫の近くの倉庫にほぼ定時で台切って、その後はいつもとそれほど変わりの無い動きで終了です。でも配車係は大変だったろうなぁ〜 10月17日(木曜日) 早い出勤だったけど、午前中はたっぷりと休めた。ここで色々と出来ましたよ。次回のお題の事もひとつはアイデアが生まれた。でも平凡かな?銀塩ではなくデジタルで行くつもりです。 この日発売された文春。家の履歴書は吉田照美さんでした。特別な事を書いてはいなかったけど、照美ファンとしては嬉しいね。 10月18日(金曜日) 朝から昼にかけては昨日と全く同じ動き。だからどうした?何も無く終了です。 10月19日(土曜日) 三郷でT社長待ち合わせて広野町へ。ひろの童謡まつり(ひろのうたまつりと読む)の記録係として参加です。まぁ〜何というか、立場的には説明が難しいが、ここでは分かりやすくボランティアと言っておこう。 それにしても久し振りの旅行?だ。仕事であちこち行っているが、いつもキャビンの中だ。景色もバイパス・高速道路・工場・倉庫・・・現地に着いて、夜の街に出ることなんて無いし、昼飯だってコンビニか、せいぜいトラックが止められるそういう場所だ。遊びに行くわけじゃないけど、ちょっとワクワクです。ホテルに泊まるのも久し振りだな。 三郷から広野まで、常磐自動車道で二時間ちょっとです。当然俺が呼ばれたわけだから、運転して行くつもりでいた。でもT社長の運転で広野に到着。なんて楽なんだ!!待遇が良すぎる。 この日は仕込みがメインで、一部リハーサル。撮影をしながらT社長のレクチャーを受ける。それにしても仕込みの段取りがいいな。プロの仕事である。業界的にもかなり段取りがいい方らしい。 それから童謡の世界の事を少々。当然、この世界の事を全く知らない俺。T社長が色々教えてくれましたが、印象に残った事を一つ。童謡って色んな歌手の人が唄っているけど、童謡歌手にはかなわないって事でしょうか。当たり前だけど、この日のリハーサルだけでもよく解りました。写真はそのリハーサル風景です。引きだからいいでしょう。 一通りの事が終わり、ホテルにチェックイン。ワンシントンホテルです。この手のイベントの規模からいったら控えめなランクらしいが、場末のビジネスホテルを渡り歩いてきた俺からしたら一流ホテルです。部屋のテレビはアダルトチャンネルなんかもあって喜んでいたら、有料だった・・・中学生みたいです。そんな事をチェックしてから食事会へ。 寧々家という居酒屋チェーン店だったが、ここはなかなかだったな。いい意味でファストフードでした。どうじゃないけど、あご足付きの仕事を堪能です。 10月20日(日曜日) 本番当日。またしてもT社長のクルマで現場入り。午前中がリハーサルで、午後が本番と言った段取りかな。プロの歌手の事は言うまでもありません。流石のひと言です。そしてアマチュアや子供たちに目が行きました。単純に言って、俺だってあの年頃だった事があるわけです。でもこういった舞台に上がる事はなかったし、関心もなかった。自分が全く通ってこなかった道を経験している子供たちがいましたよ。熱心な音楽の先生が多くいるのでしょね。 写真はオープニングです。これまた引きの画だからいいよね。一通り終わって17:30頃現場を出発。これまたT社長の運転で三郷まで戻って来ました。待遇が良過ぎる。最初は二つ返事でヒョイヒョイと付いて行った、仕事?だけど、いい経験をさせてもらいました。以下備忘録として記載しておきます。 第19回ひろの童謡まつり開催について 平成25年10月20日(日) 広野町中央体育館 13時30分から 眞理ヨシコ(広野童謡大使)・稲村なおこ・西山琴恵・吉田夏子・若林秀和 ・合唱団シャンテ(静岡県伊東市)・瑞木小学校(埼玉県三郷市)・小野新町小学校(田村郡小野町)・MJCアンサンブル(南相馬市)・楢葉南・北小学校(双葉郡楢葉町)・大熊中学校(双葉郡大熊町)・合唱団めじろたち(双葉郡広野町)・広野幼稚園(双葉郡広野町)・広野中学校(双葉郡広野町) 10月21日(月曜日) 特に何事もなく終了です。首都高3号線が混んでいて、動かなかった時にパチリと一枚。一時に勇目になったドン・キホーテのジェットコースターです。使われる事のない遺物だな。 10月22日(火曜日) 暇モードか?笑っていいともの終了が決定したという。何年も前から噂があったからね。驚きはしませんが、ついに終わるのか・・・ 中防トンネル事故で大きな事故が有った模様。後で知ったのだけど、海コン屋が4台玉突きだとか・・・死亡事故じゃないのがせめてもの救いですね。4時間くらい通行止めだったようです。写真はA1・A2の待機レーンから青海二丁目交差点です。ここから通行止めでした。 10月23日(水曜日) 個人的には色々思い入りはあるが、ニュースで騒ぐ事か?ってな感じの笑っていいとも終了です。ただラジオのフリートークではかなり話題になっていて、これは良かったな。 22日25:00から生放送だった。JUNK 爆笑問題カーボーイカーボーイのオープニングトークはなかなか興味深かった。爆笑問題のお二方にも、番組終了は知らされていなかったらしい。どうやらタモリさんとフジテレビの一部上層部だけが知っていたようですね。と言うより、話し合いで決めたのかな? 吉田照美 飛べ!サルバドールでもおすぎ氏が、ちょっとした裏事情などを話していた。ギャラが発生する出演者から切られて・・・ま、このご時世です。色々有るでしょう。それに昭和20年生まれのタモリさんが月金の帯番組ってのもね。お疲れ様でした。あと半年頑張って下さい。 10月24日(木曜日) 一日中港の番人でした。 10月25日(金曜日) 御殿場の倉庫には参った。ホーム着けするのだが高さがギリギリ。エアサスを落として入るには入ったが、危険なので出る。担当者と多少のやり取りはしたが、ぶつけてからじゃ遅い。「保険で直すんでしょ?」ってな事まで言われた。冗談じゃないよ。ここは徹底して突っぱねました。下の写真は道の駅ふじおやまの金太郎です。 高松天満屋閉店決定を知る。1997年4月、コトデンそごうがオープンする時に仕事で高松にいた。その横にあるビルに、当時勤めていた飲食店チェーンがオープンしたのである。コトデンそごうがオープンと言う事で、街はお祭り騒ぎでした。地元新聞の一面には、連日コトデンそごう絡みの記事が載っているし、街全体で盛り上げようってな雰囲気でしたね。私が勤めていた会社も、そのおこぼれに預かったんじゃないかな? コトデンそごうの出店により、香川県内では買えなかったブランドが、手に入るってな事も話題だったような・・・そのブランドの一つが、アニエス・ベーとか言ったかな。おかげでこのブランドを覚えてしまった。 そのお祭り騒ぎだけを観て、俺の高松出張は終わりました。その後2001年にコトデンそごうは閉店。ま、そごう全体があの調子だったのだから当たり前です。今回ちょっと調べてみて解ったのは、高松琴平電気鉄道も民事再生法の適用を申請して連鎖倒産していた事だ。こっちは知らなかったです。 その飲食チェーン店に、まだいた2001年。コトデンそごうは天満屋に変わると聞いた。その時どうかなぁ〜と思ったけど・・・俺がどうかなぁ〜と思っても関係無いんだけどね。 で、改めて調べてみて解った事。高松天満屋は天満屋本体と切り離された組織で、完全子会社だったんだね天満屋さんは馬鹿じゃなかったって事です。もしこのビルに次に入る百貨店があるとしたら。ヨドバシカメラかな? |
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