2014年3月の日記





3月1日(土曜日)

クルマが故障のため、月曜日までお休み。月曜の夜に代車が空くので、火曜日から仕事です。13:00から会議だというので、大井埠頭へ。特別な話は無かったけど、俺の乗っているギガの事でいろいろ相談してきました。何とか乗り続けたいです。そして市川の車庫に戻ってクルマの中の荷物整理を少々。いずれにしてもギガとはしばらくお別れだ。もう二度とこいつで仕事をしない可能性も有る。はっきり言って落ち込んでいます。関係ないけど、空き缶はゴミ箱に捨てています。

船橋ららぽーとにレイトショーを観に行ってきました。ネブラスカ ふたつのこころをつなぐ旅です。良い映画だったし、モノクロってのが新鮮だった。俺には退屈かな?いわゆるマニアが喜ぶようなチョイスでは無いけど、ここに出てくるクルマ選びが良い感じだった。スバルのアウトバック・起亜自動車のSUV・フォードのピックアップトラック・・・どれも今のアメリカで普通に使われているものだと思う。でもなんか、わざわざこういうチョイスをしたんじゃないか?と思わせるこだわりを感じだ。俺の考えすぎか?以下備忘録のためYAHOO映画より抜粋します。

ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅

解説: 『ファミリー・ツリー』などのアレクサンダー・ペインがメガホンを取り、頑固な父と息子が旅を通して家族の絆を取り戻す様子を描くロードムービー。大金が当選したという通知を信じる父とそれを怪しむ息子が、モンタナからネブラスカまで車で旅する途中に立ち寄った父の故郷で、父の意外な真実に遭遇しながらつながりを深めていく様子を映し出す。父と息子の役には、『帰郷』などのブルース・ダーンと『最凶家族計画』などのウィル・フォーテ。不器用だけれど憎めないキャラクターや、本作でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞したブルースの演技に魅了される。

あらすじ: 100万ドルが当たったという通知を受け取ったウディ(ブルース・ダーン)。それはどう見てもインチキだったが、徒歩でもモンタナからネブラスカまで金を受け取ろうとするウディに息子のデイビッド(ウィル・フォーテ)が付き添うことに。こうして始まった父と息子の4州をまたぐ車での旅。途中、立ち寄った父の故郷で、デイビッドは父の意外な過去を知ることになる。

ちょっと前の話。左がCG 2014年1月号。右がNAVI CARS 10号 2014年1月26日発売です。CGは小林彰太郎さんの追悼号だ。2013年10月28日に亡くなっている。CGを創刊した人で、日本のモータージャーナリストの草分けですね。この方に憧れて、その世界に入った人は数知れずです。

CGという雑誌を、僕がちゃんと読み始めたのは平成に入ってからです。22歳くらいでしょうか?丁度この頃、編集長が副編だったQさんに変わった頃ですね。今思えば紙面もバブルでした。長期テスト車に1000万円級の物が登場したりね。それがダメだった訳じゃ無いけど、シトロエンを通じて知り合った車好きな諸先輩よりは、この雑誌への思い入れが少ない。同じ二玄社発行のカー雑誌でも、僕等世代だとNAVIの方が馴染みがあったかな。そのNAVIで活躍していた一人が徳大寺有恒氏です。

最新のNAVI CARSは徳大寺有恒という生き方という特集です。個人的には、この人の装飾された部分に興味はありません。ダンディ?なんじゃそれ?作家の北方謙三さんんのクルマ選びをして、それがマセラティーだったとか・・・話としては面白い。きっとダンディだ!!それと随分と商業的な立場だった時もあるしね。

じゃぁ〜何が好きなの?と問われれば、それは初期に間違いだらけのクルマ選びで、フォルクスワーゲンゴルフを基準に自動車評論をしていたことかな。実用一点張りのクルマで、走る・曲がる・止まるの基本的な性能を基軸にしていたことでしょうか?

それと同時に、日本のメーカーのクルマ作りに対する苦言と、そういうクルマを選ぶユーザーの不甲斐なさにも触れていました。日本人の物選びって、クルマに限らずカタログスペックと見た目の豪華さに尽きると思う。その豪華さってのが、クルマで言うとトヨタマーク2三兄弟だな。貧乏臭いとも言うね。その辺の言い回しが好きでした。

このマーク2的なクルマ選びで、もっと庶民的というか末端の話があった。自動車雑誌の様な最先端のメディアではなく、街の中古車屋さんでの話です。その前にここでのマーク2に付いてです。

いわゆる81(ハチイチ)と呼ばれる型の事ですね。税制改正前で、3ナンバーになったらべらぼうに税金が高くなた時代の遺物です。5ナンバー枠いっぱいのサイズに、直6 4速ATの組み合わせが基本です。税制改正後のマイナーチェンジで3L版も出たけど、こいつが基本です。売れ筋はグランデというモデルで、SOHCの直6 2L+機械式4速 ATでした。これがグランデGになるとDOHCと電子制御ATの組み合わせになります。あくまでもSOHCが基本ですがね。成り立ちからして俺は好きになれない。こういうクルマを選ぶ家庭に生まれたかった?ってな雰囲気です。そして、他人から聞かれれば迷わずグランデを勧めるし、それ以外のチョイスって?と言いますよ。だけど世の中には、これ輪をかけた貧乏臭さを持った人がいる。

この当時の日本車はやたらと多くのグレードが存在した。グランデの下にGRというモデルがあったのです。直4 1.8L+4速ATです。友人が勤めていた中古屋さんで、飛ぶように売れたそうです。新古車が定期的に入って来て、人気があったというから驚きだな。それならコロナに乗れと思うのですがマーク2なんですね。未だにこういう感覚が、残っているのが日本人かな?

別にNAVIでこの通りの話をしていたわけじゃないけど、この感覚と対極にあったのがNAVIという雑誌なのか?これが似たようなクルマでも、クラウンになるとちょっと話が変わってくるから面白い。いずれにしても俺には無縁の世界だけどね。

CGは二玄社を離れて、独立した形で細々と発行し続けている。タニマチが付いているという話もあるが定かでない。この雑誌の象徴でもあった小林彰太郎さんは亡くなった。かつてCGの後ろの方の紙面を独占していた、並行輸入業者の広告も皆無だ。CGに広告が出て一人前と言われた並行輸入業者です。そんな話も今は昔ですね。

NAVIは事実上廃刊になった。かつて編集部にいた人が、全然別の会社からNAVI CARSを隔月刊で細々と発行している。今売りのNAVI CARSを見た時に懐かしく思った。だけどCGの小林彰太郎さん追悼号に対して、徳大寺有恒生前葬だと思いましたよ。確か10年以上前から糖尿病を患っているんじゃないかな?現役とは呼べない。NAVI CARSの編集長は僕と同世代だけど、クルマ趣味の文化ってどうなるのかなぁ〜俺が心配してもしょうがないけどね。思ったことを長々と愚痴ってみました。


3月2日日曜日

濃い日常なのか?流されているだけなのか?それともだらけている?何れにしても時の流れは速い。午前中はだらだらと過ごして、午後から風の街運営委員の集まりが有るのでらくらくへ。その前に新宿の中古カメラ市場です。

結局別の個体をゲットです。XR RIKENON 50mm F2です。早速SuperAにつけて、ILFORD DELTA 3200を入れて試し撮りです。仕上がりは現像が上がってからアップします。

ちょっと時間があったので、学芸大学駅前のDoutorで時間を潰す。サンドイッチ類を出さない(調理物は無い)小さな店だが、何となく雰囲気が良かったな。今度始めるコーヒーの試飲をさせてくれました。

運営委員の方は有意義な話が出来ましたよ。クローズドな話なので、解る人に解ればいいのである。親分と店長も加わって、そのまま楽しい反省会。帰りは久しぶりに塾長と帰ってきましたとさ。


3月3日(月曜日)

キネカ大森にもらとりあむタマ子を観に行く。でもその前に、あれとこれとをやっつけようと思った。さて、バスに乗るか・・・と玄関を出ると会社から電話。ギガを修理に出す段取りが有るから・・・しょうがない。会社に行ってギガに置いてある荷物をスイフトに移す。でも修理工場と話をすると・・・結果的に取りに来ない事になった。何だかなぁ〜

なんか一気にやる気が失せたので、映画だけ観に行く事にした。もらとりあむタマ子は知ってはいたけど、軽く流していました。文春の本音を申せばで褒めていたので、観に行く気になったわけです。映画に関して、小林信彦さんの評価は信用出来ます。個人の感性の問題だから、誰が信用出来るってのも無いんだけど、強いて言えば好みが一致するのか?前田敦子と言う女優さんが、良い意味でこんなんだとは思わなかった。

キネカ大森は初めての映画館だったけど良いね。昔で言う二番館になるのかな?二本立てなんかもやっていて、こじんまりした良い映画館でした。ちなみに俺がモラトリアム・・・を観たスクリーンは、定員40名ほどの一番小さなものでした。上映開始5分後に、婆さん二人が入ってきて、ちょっとだけ話し声もした。上演終了と同時に「これで終わり?」ってな事を言っていた。婆さん二人にとってはそんなもんでしょうね。俺はこの映画に満足したよ。

本来の予定とは逆になったけど、小便小僧様にご挨拶です。この様な出で立ちでした。その足で秋葉原に寄って現像出し。にっ◎んカメラで、レンズキャップを買って国道6号君に挨拶。肝心な予定は飛んだけど、これはこれで良いかな。

自宅近くで見つけた奇妙なもの。これで猫除けになるのか?よく出来ているといえば出来ている。遠目で猫に見えるものね。

帰宅するとテレビが二台届いていたので設置する。我が家で初めての地デジ対応テレビです。地デジチューナーで済ませていたが、一台壊れたのを機に購入しました。って俺が金を出したわけじゃない。守銭奴の弟が出しました。相変わらずなお袋も、テレビはチェックしているようだし、これはこれでありかな?それはともかく疲れた。今年に入ってから、色々トラブル続きだよ。最後に備忘録として、もらとりあむタマ子のあらすじを公式HPから抜粋します。

もらとりあむタマ子 あらすじ

東京の大学を卒業したものの、就職せず、父の善次(康すおん)がひとりで暮らす甲府の実家へ戻ってきたタマ子(前田敦子)。しかし、善次が営むスポーツ用品店・甲府スポーツをろくに手伝うこともなく、開店時間になってもぐうぐう眠り続けている。ようやく起き出して、残り物のロールキャベツをがっつくタマ子。プリンを食べてマンガを読んで、ハッと目を覚ませばもう夕飯の時間。テレビを見ながら「ダメだな、日本は」と吐き捨てるタマ子に、善次は「食って寝てマンガ読んで。ダメなのは日本じゃなくてお前だ!」と手厳しい。タマ子は勢いで「その時が来たら動く!」と言い返す。「いつなんだよ?」「少なくとも……今ではない!」


大みそかを迎え、新年の準備に忙しい甲府スポーツ。タマ子も今日ばかりは、買い物をしたりカレンダーを張り替えたりと、珍しく家事を手伝っている。夜、こたつに当たっているタマ子のもとへ、善次の義姉・よし子(中村久美)がおせちを届けに来てくれた。タマ子の姉も夫と一緒に間もなく実家へやって来るはずだ。ケータイを操作しながら年越しそばを食べるタマ子に「食べるかケータイかどっちかにしろ」と善次。タマ子は「母さんから連絡ないね」と言って、今でも連絡を取り合う離婚した母の近況を善次に話す。そこへ結婚して家を出た姉が帰ってきた。大晦日の夜が更けてゆく……。


美容院で髪を切ったタマ子。どうやらどこかに履歴書を送るつもりのようだ。面接用の洋服をねだられた善次は、感慨深げにいいよと答える。ようやくその時が来たかなと善次。買ったばかりの洋服を着て、タマ子は中学生の仁(伊東清矢)に履歴書用の写真を撮ってもらう。「これ、絶対誰にも言っちゃダメだからね!」そそくさと写真館を後にするタマ子。タマ子の履歴書の提出先はどこなのだろうか。


クーラーが効いてキンキンに冷えた居間で、タオルケットに包まれてマンガを読むタマ子。高校野球中継を見て、「このクソ暑いのによく野球なんかやるよね」と毒づくタマ子に、善次はいろんな人間がいるんだよと説く。いいことでもあったのか、善次はちょっとうれしそうだ。次の日の夜、善次の兄・啓介(鈴木慶一)の家で、タマ子は善次がアクセサリー教室の先生をよし子に紹介されたことを知る。勇気を出して様子を見にいったアクセサリー教室で、タマ子は先生の曜子(富田靖子)と初めて顔を合わせる。父の再婚話に心揺れるタマ子。その思いは果たして――。


3月4日(火曜日)

こいつに乗り換えるのか?代車扱いなのか?まだわからんが、違うクルマに乗っている。第一印象はそれ程タバコ臭くない。でも一日乗っていると、堪え難いものがある。そんなもんよ。このクルマについてはそのうちアップするか。

中坊の外側に新しいバンプールが出来た。新中坊山九と中坊住友が引っ越してくるとは聞いていた。この時点で、新中坊山九が動き始めていたけど、いつから本格運用か?そんな事を考えながら中坊山九の返却に並んでいたら、新らしいバンプールに回された。

世の中そう上手く行くもんじゃないが、テンション下がりまくりである。消えてしまいたい。


3月5日(水曜日)

ゆっくりと出勤。それでも余裕があったかあらね。2月よりは忙しいみたいだけど、実入りは寂しそうだな。とりあえず今の愛車の写真をアップします。


3月6日(木曜日)

今のところ実害らしきものは無い。代車で仕事しなくてはいけない事も、その代車がタバコ臭い事も実害と言ったら怒られるだろうか?こういう環境の変化が、まわりを悪くする。リズムが狂うな。それから相手は何とも思っていないだろうが、そのしゃべり頭に来る。キレそうだ。仕事もプライベートも、やはり何か波長が狂っているのだ。修正したい。

昨日日記をアップしてから、レンタル中のDVDを鑑賞。ボクたちの交換日記です。原作がお笑いに精通している、放送作家の鈴木おさむさんなのでよく出来ています。想像以上によかったですよ。備忘録のため、YAHOO映画から抜粋します。

ボクたちの交換日記

解説: 放送作家・鈴木おさむのベストセラー小説「芸人交換日記 ~イエローハーツの物語~」を、ウッチャンナンチャンの内村光良が映画化。お笑いに情熱を傾けてきたものの、結成12年目になっても売れない芸人コンビの生活と苦悩を描く。夢と現実のはざまでもがくお笑い芸人の葛藤を、伊藤淳史と小出恵介が熱演。彼らを支える重要な役どころを、長澤まさみ、木村文乃、川口春奈、佐々木蔵之介が演じる。

あらすじ: 甲本孝志(小出恵介)と田中洋平(伊藤淳史)はお笑いコンビ「房総スイマーズ」を結成して12年目だが、いまだに売れる気配がない。コンビの将来について膝を突き合わせて話すことをしてこなかった二人だったが、彼らはもう30歳。お笑いに情熱を傾け続け、相方と一緒に成功したいと願いつつも後がない二人は、互いに本音を語り合うべく交換日記を始める。


3月7日(金曜日)

伊勢崎市まで足を伸ばす。久しぶりに金になる仕事だな。週末と言う事もあり、帰り道は結構混んでいた、

写真は道の駅おおたに置いてあったスバル360です。ここの道の駅は広くて、トレーラーも止めやすい。便所タイムには持って来いだな。

出来たばかりの中防外側共同バンプールに並ぶ。新中防山九と中防住友がここに引っ越してきた。並びが不慣れなため、誘導員が多数いたのはありがたい。もっと広くてもいいような気もするが、これから先どうなるかだな。

長い間放置プレイ状態だった、洗面所とトイレの水周りの修理が完了した。昨日、業者さんが来てやってくれたようだ。細かいことは省くが、なかなか来てもらえなかった。どういう経緯かはお袋任せで知らないが、予定とは違うちょっと顔見知りの人が来てくれたらしい。

最初の話だと交換部品もあって、それなりの補修工事になるとの事だった。でも何も交換せずに10分程度で作業終了。ここでお金のやり取りがあるはずなのだが・・・やっとの事で些少の金額を受け取ってくれたらしい。この事を塾長に相談したら、それでOKとの事。塾長がそう言うならいいや。

一年以内に、マツダのデミオがフルモデルチェンジするようだ。このモデルチェンジで、マツダのプラットフォームはスカイアクティブに統一されるらしい。大きなアテンザも小さなデミオも基本構造が同じとなるわけです。生産性が上がりコストが下がるわけで、マツダの利益率が上がりますね。

このプラットフォーム共通化に対して、半可通はすぐに否定をする。かつてのFR車、カローラ・レビン / スプリンター・トレノ(AE86)が、AE92にモデルチェンジしてFFになった時の話です。「これって中身カローラでしょ?」そう言った輩がいた。それを言うなら、AE86だって中身カローラだ。工業製品なんてそんなもんですよ。プラットフォームからエンジンに至るまで、全て専用設計を要求するならフェラーリクラスまで行くしかないかな?例外的にHONDAのS2000が有ったけどね。コストが下がって販売価格が下がって、車そのものも差別化出来ればいいじゃない。僕は90年代にシトロエンBXとプジョー205で経験しています。この二台は別の味があると今でも思っています。この手の話はまだまだ出来るがこの辺で。

そして何よりも目玉は、1.5Lのディーゼルエンジンでしょう。これMTとの組み合わせで欲しいなぁ〜このエンジンが有るだけで、他社との差別化が明確になるし、アドバンテージになる。スイフトも僕の好みを反映して選んだクルマです。デミオディーゼルはそれを上回るな。純粋に欲しいなぁ〜


3月8日(土曜日)

出勤したけど、13:00には車庫に戻ってきた。2月の売り上げを計算したけど、嫌になっちゃうよ。3月に入っても暇は相変わらずです。贅沢言わないから、暇な時出来るバイトって無い物か?それが贅沢な注文だな。色々やろうと思ったけど、気持ちが前に進まない。昼寝したりぼーっとしたり・・・こういうのって良くないね。レイトショーに行って終わりです。

前日封切りの“それでも夜は明ける”を船橋ららぽーとのTOHOシネマズで鑑賞です。前評判通りの素晴らしい映画でした。1841年、アメリカで奴隷制度が認められていた時代の話です。人種差別に関しては、映画によく取り入れられてる。避けては通れない物なのでしょう。でもこれは辛かったなぁ〜奴隷と言う言葉を改めて認識して、考えさせられました。残酷です。町山智浩さんが、撮影の裏話としてラジオで話していた事がある。黒人を苛めるシーンでスタッフや出演者が体調不良を起こしたとか・・・解る気がします。備忘録として公式HPからあらすじを抜粋します。

それでも夜は明ける あらすじ

家族と幸せに暮らしていた男が、突然、財産も名前も奪われ、奴隷にされる。妻と子どもたちに再び会うために、彼が生き抜いた11年8カ月と26日間とは─?すべてが驚愕の実話。

バイオリニストのソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)は、幸せな暮らしを送っていた。愛する妻は腕の良い料理人で、幼い娘と息子も元気に育っている。1841年、アメリカ・ニューヨーク州サラトガ。ソロモンは生まれた時から自由証明書で認められた自由黒人で、白人の友人も多くいた。
ある時、知人の紹介で、ワシントンで開催されるショーでの演奏を頼まれる。契約の2週間を終え、興行主と祝杯をあげたソロモンは、いつになく酔いつぶれてしまう。
翌朝、目が覚めると、ソロモンは小屋の中で、手と足を重い鎖につながれていた。様子を見に来た男たちに身分を告げるが、彼らは平然と「おまえは南部から逃げてきた奴隷だ」と宣告し、認めないソロモンを激しく鞭打つ。
興行主に騙されて売られたと気付いた時には、既に船の上だった。屈強な二人の黒人たちと共に反乱を目論むが、女を助けようとした一人が虫でも潰すように刺し殺されるのを見て、抵抗が無駄だと悟る。
ニューオーリンズの奴隷市場に着くと、奴隷商人(ポール・ジアマッティ)から無理やり“ソロモン”という名前すら奪われ、男も女も全員裸で並べられ、子どもは「将来は立派な家畜になりますよ」と紹介される。こうしてソロモンは、大農園主のフォード(ベネディクト・カンバーバッチ)に買われていく。
有能なソロモンはすぐにフォードに気に入られるが、大工のティビッツ(ポール・ダノ)からは何かと難癖をつけられる。ついにソロモンの中で何かが弾け、殴りかかるティビッツに反撃してしまう。仲間を引き連れて戻ってきたティビッツは、ソロモンの首に縄をかけて木に吊るす。監督官が彼らを銃で追い払うが、フォードが戻るまで、ソロモンはかろうじて爪先が地面に着く状態で何時間も放置される。
フォードは面倒を起こすソロモンを、借金返済を兼ねてエップス(マイケル・ファスベンダー)に売る。フォードは優しい主人だったが、所詮奴隷は“財産”なのだ。広大な綿花畑を所有するエップスに仕え始めたソロモンは、今まではまだ地獄を覗いていただけだと悟る。エップスは、とても正視できない暴力で奴隷たちを支配し、まだ年若いパッツィー(ルピタ・ニョンゴ)をサディスティックに弄ぶ。ソロモンに信頼を寄せたパッツィーは、ある夜「自分を殺してくれ」と頼むが、彼にはできない。
焼け付く太陽の下でひたすら綿を摘み、少ないと鞭打たれ、逃亡奴隷の処刑を目撃し、信じた白人に裏切られ、仲間であるパッツィーの鞭打ちを命じられる──絶望の暗黒の中、ソロモンを支えたのは、もう一度家族に会いたいという願いだけだった。そしてソロモンは、カナダ人の奴隷解放論者バス(ブラッド・ピット)に、最後の望みを託す。家族も、財産も、名前さえもを奪われたソロモンが、唯一失わなかったものとは──?


3月9日日曜日

だらけて起床。まずは軽くボボ青汁さんのお見舞いに行く。鎌ケ谷市某所です。昨日ティアラさんに確認を取ったところ、飲み食いに関してはかなり自由度が奪われている模様です。水が欲しいと言っていたらしいので、カブに水を1ケース積んでいく。

ちなみに写真は、夕方に買いに行った時の物です。重たい。1ケース積んだだけで、鎌ケ谷四中脇の坂が相当きつかった。俺が重いのもあるけど、50ccの限界ですね。

ボボ青汁さんの容体は、別に心配するほどの事では無い。ただここのところ忙しいだけでなく不規則だったので、これを機に充分な休養を取ってもらいたいね。それだけですよ!!

午後から寫眞團のお題を撮影するために、上の方面へ出かける。商店街・・・今日はちょっとベタだったかな?銀塩写真で提出を考えてはいるが、どうなる事やらです。

本日のメイン機材です。PENTAX ME-SUPER+XR RIKENON 50mm F2です。カメラの方は高校から専門学校まで使っていたので、懐かしくもあり、使いやすくもありです。レンズの方はあの当時のリコーのごく普通・・・いやはっきり言って廉価版です。50MmF2ですからね。ただこれは隠れた名玉らしい。安物が名玉・・・こういうの好きです。デジタルは久しぶりにQとスタンダードレンズを出してみた。

参考にはならないけど、3月2日に撮影です。PENTAX SUPER-A+XR RIKENON 50mm F2/ILFORD DELTA 3200です。その他詳細データは不明です。

今回のお題は、35mm版で行くつもりです。ブローニーはお預けだな。商店街ってお題はなかなか難しいと言うか、手ごわいな。どうなる事やらです。

ここは地下にある京成上野駅から、日暮里に向かって地上に上がってくるところです。学生時代はこの辺も結構ウロウロしたけど、ここは初めてだな。意味は無いけど抑えておきました。


3月10日(月曜日)

よくある何もない一日。この日に限って言えば、それなりに仕事の動きはあった。でもなんか、何も無いと言うよりも、空っぽな一日だったな。良い意味でも、悪い意味でもない。ただ空っぽ。良くない日でも、怒りとかそういうのが出てくるけど、無の状態だな。珍しい。仕事はそんな感じでした。

帰宅してTSUTAYA DISCASからレンタルしている、最後のマイウェイを鑑賞。クロード・フランソワという、60年代から70年代にかけて、フランスで最も人気があった歌手の半生を描いた映画です。2012年の作品で、日本での公開は細々としたものだったので、映画そのものを知りませんでした。それどころか、クロード・フランソワという歌手すら知らなかった。あのマイウェイを作った人だったなんて。この映画そのものを知ったのは動画番組、TSUTAYA洋画王子の小部屋でなぎらさんが紹介していたからです。

3時間は長かったけど、退屈はしませんでした。すごく分かり易いスターの人生を描いた映画です。コンプレックスがあるから成り立っているスター・・・そういう印象を受けました。自分なりに気になった事を書きます。

まずはクルマ。フランス映画だから俺の好きなクルマがたくさん出てきた。なので文句なし。フランス車贔屓だからしょうがない。

チョコレート。クロード・フランソワが、自分を売り込むためにレコード会社に行く。ここで手土産に、チョコレートを持っていくのだ。日本映画だったら酒だろう。仮に相手が下戸で甘い物を持って行くとしたら、それなりに説明が必要だ。でもフランスではおいしいチョコレートは、賄賂的な手土産になるのでしょうね。そう言えば昔、やるManで、そういったチョコレートの話をする女性ゲストを呼んでいたな。アヌーク・エーメンが残ったチョコレートを、貰って行くエピソードを話していた。アヌーク・エーメンの様な女性すら、残り物を貰って行きたくなるチョコレートの魔力・・・そんな話をしていたっけ。それを思い出した。

気になった女優が二人いました。フランス・ギャル役のジョゼフィーヌ・ジャビと、クロードの最初の妻役のモード・ジュレです。どちらもとても魅力的でした以下備忘録として、YAHOO映画より引用します。

最後のマイウェイ

解説: フランスのカリスマ的スターで世界的ヒット曲「マイ・ウェイ」を作ったミュージシャン、クロード・フランソワの波乱に満ちた生涯を映画化。歌やダンスで魅了し、世界初のファンクラブを作るなどスターとしての華やかな一面と、父との確執やライバルへの嫉妬、派手な私生活といった実像も描き出す。主演は、『夏時間の庭』『少年と自転車』のジェレミー・レニエ。『スズメバチ』のフローラン・エミリオ・シリが監督を務める。1960年代から1970年代のファッションや文化の再現、スーパースターの苦悩など、繊細に作り込まれた美術や人物像が見どころ。

あらすじ: クロード・フランソワ(ジェレミー・レニエ)は厳格な父エメ(マルク・バルベ)の死後、パリに進出し歌手としてデビュー。敏腕マネージャーのポール・ルデルマン(ブノワ・マジメル)と共にスターの座へ上り詰める。そんな中、フランス・ギャル(ジョゼフィーヌ・ジャピ)との破局を歌った「コム・ダビチュード」を、尊敬するフランク・シナトラがカバーすることとなり……。


3月11日(火曜日)

車庫の近くに二本付ける仕事。走らないスタートってのは楽です。こういう日ばかりじゃないけどね。ここでシャーシを差し替える時に・・・以下省略。

この倉庫の近くにポツンとあるポストに、DVDを返却投函。何とも便利な時代だ。このポストは、埋め立て地の倉庫街に、本当にポツンとある。目の前はしばらく更地で、上手く写真が撮れないかと思案していたら、倉庫の建築が始まった。

この写真は最近稼働し始めた、中防外側共同バンプールです。新中防山九の並びは吸い込みが悪かった。10:30に並んで、午前中降りなかったものな。この後芝山町まで走って、何とか格好が付いたけど、暇である事には変わりないね。

STAP細胞の研究結果が、だんだん濃い灰色になって来ているようだ。専門的すぎて難しくて、中身については良く分からない。当初は、論文の中のどうでもいい画像(そんなのがあるかは分からんが、そういうニュアンスだった)の使い回しが言われた。それがここへ来て、研究結果そのものが否定される事態になって来ている。もしそうだとしたら、なんでそんな事したの?と単純な疑問・・・純粋に研究や実験に誤りがあったのか?それとも見切り発車のような事をしたのか?愉快犯じゃ無いけど、でっち上げなの?いずれにしても、世に出る前のチェック機能はどうなっているのかな?

ちょっと前に大学の研究室に関わる人から聞いた話です。研究論文を発表する時、随分と細かで意地悪な質問が出るらしい。人の揚げ足を取るような行為だとも聞いた。でも、絶対に間違いないという事を証明するならば、当然の事だと思う。知らない側からみたら、揚げ足取りに見えるというだけの事です。

しばらく静観だけど、正しい研究結果だったにしろ、過ちだったにしろ、ちゃんと証明して欲しい。割烹着の美人だとか、リケジョ何て事は関係ないのである。この動きで、AVや風俗業界でのハダカ割烹着企画は流れちまったかな?下世話な事しか思い浮かばない俺がいる。


3月12日(水曜日)

巡りが悪い。いかんなぁ〜と思いつつ、こればかりはしょうがないね。変に時間のかかる並びで、つまづいた感じです。

写真は品川埠頭のグラウンド付近にいた猫。警戒心は強かったな。

昨日下書きしてアップし忘れた。3.11の話です。区切りだとか、ケジメは大事です。この日に式典を行ったり、テレビで特別番組を放送するのは良い事だとは思います。でも3年経っても何も変わらない避難生活を、ただ垂れ流すだけは如何なものか?新しい生活の道筋について考えるべき。多くの人が犠牲になり、亡くなった日として、ただ合掌するのみ。


3月13日(木曜日)

特に何もなし。昼間から雨が降ってきて、夜半までにピークが来るようだ。俺は酷くなる前に帰宅出来た。珍しい事もあるもんだ。その代わり明日は早いからね。とっとと寝るか。(-_-)_zzz


3月14日(金曜日)

早めに出勤して、芳賀郡まで行く。帰りに給油する予定じゃなかったけど、AdBLUEって結構入るのね。購入と補給のため春日部のキタセキに寄る。中防日通はガラだったけど、品川住友CYにたっぷりと並んで終了です。

STAP細胞の論文は、どうやら取り下げられるようだ。残念なことだけど、それ以上にこの一件の本質が見えない。素朴な疑問として、この論文は根本的に捏造だったのか?それともプロジェクトの中でのミスなのか?まだ中間報告なので、断定するのは良くない。だけどもう少しわかり易く解説してもらいたいね。

17:00のQRのニュースで、論文としてはずさんと言っていた。そんなずさんな、取り下げなきゃいけないような論文が、なぜ世に出てきたか?チェック機能はどうなっているのか?それともこの世界はこんなもんなのか?中身に関してはチンプンカンプンな私からすれば、IPS細胞の研究結果さえ疑ってしまう。とにかく嫌な感じだ。


3月15日(土曜日)

午前中は病院と野暮用で横浜方面へ出かける。いったん帰宅して、夕方から銀座へ。その前に秋葉原に寄って、日曜日に撮影した、現像の仕上がりを受け取る。

PENTAX ME-SUPER+XR RIKENON 50mm F2 トライXで撮影です。お気楽にスキャンした画像で、どうのこうの言うのは何ですが、良いんじゃないの?と言っておきます。

増田さんの写真展を観に、EIZOガレリア銀座へ。今年に入って引っ越したようで、新橋よりの銀座7丁目にあります。有楽町駅から数寄屋橋交差点の通って、程なく到着ですよ。会場には増田さんの他に、まっちゃちんさんもいて、楽しく談笑。EIZOガレリア銀座のA所長も出てきてくれて、ここには書けない興味深い話を、たくさん聞けました。EIZOさんのモニターがマジで欲しいです。

この後映画のチケットを買ってしまったので、お茶をして泣く泣くお別れ。増田さんとまっちゃちんくんは楽しくお稽古した様ですね。備忘録のため、案内状とEIZOガレリア銀座さんのホームページにある案内を引用します。

増田雄彦 写真展「Stumptown 2014」

アメリカ西海岸のオレゴン州でもっとも栄えている町がポートランド。Stumptownはポートランドと言う町が持つ、いくつかの仇名の一つだ。。1800年代半ば、町の急成長に伴い多くの樹木が切り倒され、あちこちにStump(切り株)が目立ったことからStumptownと呼ばれるようになったらしい。両親が人生の終焉に選んだこの町で僕も10余年を過ごした。東京で暮らすようになり訪れる機会は減ってしまったが、このStumptownが僕のホームタウンなのだ。
増田 雄彦
会期 2014年3月11日~29日
会場 EIZOガレリア銀座
入場料 無料

誘いを断ってまで観に行った映画は、ラヴレース。実話をもとに作られた映画です。ディープスロートと言う映画に出演した、リンダ・ラヴレースと言う女優さんの話ですが、僕はこの女優に関して全く知りませんでした。まぁ〜何だろうな。僕にはこの人の心情と言うか、こうなってしまった経緯が理解出来ない。ありそうな話と言えばそれまでだけどね。映画は面白かったです。以下備忘録として、公式サイトから引用します。

アメリカのポルノ映画史上、最もヒットした作品『ディープ・スロート』が公開されたのは1972年のこと――。NYタイムズ紙が“ポルノ・シック=おしゃれポルノ・ブーム)”と報道するほど女性たちも映画館へ殺到し、社会現象となった。有名人やケネディ大統領夫人はじめ、セレブたちもこぞってこの映画を鑑賞し空前の世界的ブームに!累計興行収入は6億ドル(『タイタニック』に匹敵)を超えている、という説もあるほどだ。そんな伝説の映画の主演女優リンダ・ラヴレースは、“70年代アメリカのシンボル”と呼ばれ、巨額の富と華麗なるスターダムを手にしたと誰もが信じていた。しかし、『ディープ・スロート』制作の裏側には“驚愕の真相”があった・・・。フロリダの小さな町で厳格な家庭に育ったラヴレースがなぜポルノ女優となり、その後、女性運動活動家になったのか。華やかな音楽やファッションでPOPに彩られた“70年代アメリカ”を背景に描かれるリンダ・ラヴレースの光と影。愛と自由を求めた、彼女の波乱万丈な人生は、時代を超え今なお強く心に突き刺さる。
センセーショナルなリンダ役には「ピープル」紙が選ぶ“最もビューティフルな女性”ランキングでも毎年上位に選ばれ、『マンマ・ミーア!』『ジュリエットからの手紙』など清純なイメージが強いアマンダ・セイフライド。彼女自らの殻を破り挑んだ本格演技は必見!ラヴレースの暴力的な夫チャックを圧倒的な存在感で演じるのは実力派俳優ピーター・サースガード。ラヴレースの人生に大きな影響を与える信仰心の深い頑固な母親ドロシーには、シャロン・ストーン。そして、「プレイボーイ」誌の名物編集長ヒュー・へフナーを演じたジェームス・フランコ、女性ジャーナリスト役のクロエ・セヴィニーら豪華キャストが顔をそろえる。遂にこの春最高の話題作が日本に上陸する!
監督は、84年の『ハーヴェイ・ミルク』(エプスタインのみ)、89年の『Common Threads: Stories from the Quilt(日本未公開)』でいずれもアカデミー賞®の長編ドキュメンタリー賞に輝いているロブ・エプスタイン&ジェフリー・フリードマンのコンビ。長年ドキュメンタリー映画の秀作を撮りつづけてきた経験を生かし、本作では、撮影の始まる前に膨大な量のリサーチを実施。これまで誰も知ることのなかった真実のリンダ・ラヴレース像を描き出すことに見事に成功している。40年の歳月が過ぎた今、彼女の「真実の物語」がついに明かされる!

STORY:ストーリー
1970年―― 21才のリンダ・ボアマン(アマンダ・セイフライド)は、フロリダの小さな町で、厳格なカトリック教徒の両親(ロバート・パトリック&シャロン・ストーン)と暮らしていた。ある夜、リンダは女友達と遊びに行った帰りに、地元でバーの経営をしているチャック・トレイナー(ピーター・サースガード)と知り合う。厳しい両親との生活にうんざりしていたリンダは、チャックの優しい言葉に惹かれ、彼とつきあい、すぐに結婚する。性的にうぶだったリンダに対して、チャックは、セックスの快楽を一から教え込んでいった。
その半年後―― チャックのダークで陰湿な一面が、しだいに明らかになってきた。妻のリンダをポルノ映画へ出演させるという、とんでもないアイディアを思いつく。
たった7日間で撮影されたリンダの主演映画『ディープ・スロート』(タイトルはリンダがチャックから伝授された「秘技」を指して付けられた)は、1972年に全米公開され、記録的な大ヒット作となった。「リンダ・ラヴレース」というポルノ女優としての芸名を授かった彼女は、一躍スーパースターに――パーティ会場でも「プレイボーイ」編集長のヒュー・ヘフナー(ジェームズ・フランコ)やサミー・デイヴィス・Jr.といった有名人から賞賛されるほどの人気者となり、70年代の解放的な「セックス革命のシンボル」として祭り上げられていく。
しかし、その6年後―― ニューヨークで新生活を始めたリンダは、自伝本を書くために、出版社を訪れる。これから書こうとする内容の真偽を証明するため、彼女はポリグラフ(ウソ発見器)のテストを受ける。そこで語られるのは、長年メディアによって捏造されてきた「リンダ・ラヴレース伝説」の裏で起こっていた「衝撃の真実」だった…


3月17日日曜日

本来ならば、ボボ青汁さんお見舞いに行くつもりだった。ところが今日退院すると昨日連絡があったので、流れてしまった。何でも治療仕切り直しのようで、道筋が見えて良かった。先週会った時はまだはっきりしていなかったからね。

昨日、TSUTAYA DISCASから届いた激流〜私を覚えていますか?〜を観終わった。去年の6月から、NHKドラマ10の枠で、全8回放映されたものです。中途半端に観ていて、消化不良だったので丁度良かった。最終回までは行ってないけどね。

昼から試写を兼ねた散歩です。一応お題になっている商店街をね、歩いてきました。昔若宮銀座と言われた所から、法華経時の参道を抜けて、下総中山の駅まです。

若宮銀座と言われた頃はそれなりに、賑わっていたように思います。競馬関係の人達が大勢住んでいましたからね。美浦のトレーニングセンターが出来て、人がそっちに移り、それ以降イマイチなのだとか。まぁ〜それだけじゃないでしょうけど、写真はその商店街の駐車場に停めてあったビートルです。

法華経時の参道脇の風景です。レンズの善し悪しを語れるような俺では無いけど、これ良いなぁ〜ってのが俺の感想です。赤城さんの受け売りが多分に影響しています。でもその赤城さんが絶賛しているわけですから間違いないでしょう。

ニッケコルトンプラザに有るキタムラに現像とスキャンの依頼をしたら、少々時間があるとの事。いったん帰宅する途中で、こんな張り紙を見た。怪しすぎる・・・何次下請けなのだろうか?末端に報酬が行き渡るシステムが、必要だと思うのだがね。

愛嬌のない猫。フェンス越しに撮影出来ました。警戒心バリバリでしたね。明日は早いから寝坊しないように行かなくちゃね。



3月17日(月曜日)

山梨市内の、山の上にあるホテルに行ってきた。もちろん仕事です。そこにたどり着くまで、規模こそ小さいが、箱根のようなワインディングロードを上って行く。雪の時だったら完全にアウトだね。写真はそこで発見した車両です。おそらく客車を引いて、この施設内を回るのでしょう。撮影せずにはいられませんでした。

返却の後、翌日のコンテナを取るのに、品川住友CYに4時間並んで終了です。


3月18日(火曜日)

東京地方は春一番が吹き荒れました。レインボーブリッジも通行止めになったりしてね。寒かった冬も終わりですな。そして東京港エリアで働くものとして朗報です。

何も見ずにシャッターを押しただけの写真を二枚載せます。これはR357西行き荒川河口橋付近で、9:00ころ撮影です。12:00に新木場立体が開通する前の画像です。とっくに出来ていたのに、細かな工事をやっていてやっと今日開通です。道路は利用する人の都合でなく、作る側の都合で事が運びますからね。

こっちは15:00過ぎ開通後の画像です。前に走っているスカイラインは、開通の状況が飲み込めず、挙動不審な動きで危なかった。まぁ〜こっち側はこれで良い。問題は反対側です。

台場方面から来て、三ツ目通りを超えて新木場立体に入る。そして荒川河口橋に至る。今日通った時に、ここに問題が有った。荒川河口橋の手前で、新木場立体が二車線から一車線に絞られる。これっておかしくないか?二車線分ちゃんと有るのに、意図的に仮設で一車線に絞られていた。ゲートブリッジ方面から、側道を経由して来るほうがメインなの?こっちは国道で本線なのだから、二車線のまま来るべきでしょう。

そして荒川河口橋は三車線だ。これは良い。でもなぜか一番左の車線が、絞られる。そのまま環七方面の側道に、誘導すればいいのに、絞ってからまた分ける形にしてある。ここに至るまで三車線分の幅は確保されているのにである。かえって事故を誘発すると思うのだが・・・もう一度言う。どんな事情が有るかはしれないが、道路は使う側の都合では無く、作る側の都合である。嫌な事実だ。


3月19日(水曜日)

相変わらず間抜けな並びだ。本当に効率良くならない物か?ならないよな・・・解っていながらぼやくのである。写真は越谷と岩槻の境目辺りで撮影です。こういうトレーラーって、渋谷とかで見るよね。

吉田照美 飛べ!サルバドールで、照美さんとおすぎさんが、STAP細胞の一件でちょっとだけ話をしていた。ひとつは今日発売の文春の記事について。ようは持ち上げたり、ぶったたいたりってな話ですね。私もこれに同感です。そしてそんなことより・・・と言う話に発展します。

STAP細胞その物が存在するのか?どこもそれを報じないってな話です。全く同感で、そこをはっきりしてもらいたい。証明が出来なくても、今後STAP細胞の存在が、証明される可能性が有るのか?これくらいの報道が有って然るべしだとは思うのですがね。割烹着を持ち上げておいて、今度はそれを叩く・・・何でも良いけど、本質の部分でやってもらいたいもんです。


3月20日(木曜日)

本格的に花粉症の症状が出てきた。神栖市から戻って来る時に、どうも調子がイマイチだった。車を止めて、20分ほど休憩。眠れたわけではないが、なんとか復活です。これからひと月は苦しいなぁ〜


3月21日(金曜日)

去年に引き続き、銀座ブロッサムで撮影。音楽教室の発表会です。この手の発表会の度に思うことだけど、ひたすら子供達の姿に感心です。子供もいない、子供好きとは言えない俺でもそう思うわけです。圧倒的に女の子が多いのだけど、ドレスを着て、オーケストラをバックに歌う・・・素晴らしい体験だね。

この日は珍しく、Twitterを昼過ぎから夜まで、放置プレイしてしまった。親分のつぶやきを、見逃してしまったことを悔やむ。

春と秋の彼岸と言うのは、盆暮れ正月以上に、サンデードライバーがはびこると、俺は思う。墓参りの名の下に、滅多に運転しない輩が出てきて、本当に走りづらい。50キロの幹線道路で40キロ未満の走行って何よ?本当にストレスがたまる。そんな一日でした。


3月22日(土曜日)

一日中仕事でした。やっと動きが正常になってきたようです。どうも調子が悪い。早々に就寝です。


3月23日(日曜日)

すみだまちフォトコンテストの表彰式を見に行く。残念ながら、私は応募すらしなかったけど、なぎらさん・赤城さん・帝京大学の大下教授が、来るって事だったので、行ってきました。大下教授となぎらさんは三回目らしいいけど、俺は始めて二人のトークを聞いた。噂通り、とても良い。おそらく今後とも、このコンビは続くのではないか?

表彰式の後、メインの反省会。大下教授から、“やっぱり”ってな感じの裏話を聞かせてもらった。一定数、そう言う人間はいるのね。

赤城さんから、青汁さんの病気について聞かれる。こう言う風に心配してくれるのは嬉しい。ただ今回は、死ぬの生きるのって話じゃない。手術をするから、それが終わった後、どれくらいで復帰出来るかって話だ。そんな話をしながらも、贅沢で楽しい時間は過ぎて行ったのである。

花粉症のクスリが強すぎるのか?どうも調子が悪い。反省会も早々に退散して、自宅療養?です。あっ、その前に、TSUTAYA DISCASから 激流〜私を覚えていますか?〜の最後のDVDが届いていたので、観終えました。面白かったよぉ〜ん。


3月24日(月曜日)

引き続き調子が悪い。仕事はあれやこれやと動いて終了です。特に何もないな。そんな中、東扇島で珍しいクルマを発見。日本でどのくらい動いているのかな?Peugeot205turboです。

流石にこのクラスになると、欲しいとか所有したいとかにはならない。価格もそうだけど、特殊すぎるんだよね。好きとか嫌いなんてのは通り越して、非現実的なクルマです。それゆえに、走っていてくれるとうれしくなり、信号待ちで撮影です。


3月25日(火曜日)

取りあえず、血圧のクスリも花粉症のクスリも、今週いっぱいは封印しよう。それで楽になれば、血圧のクスリを再開する。そして花粉症のクスリを変更してもらいますよ。

車検シャーシを修理工場に、台切りに行った。その時に、俺が乗っているギガの、修理について聞いたのだが・・・一筋縄では行かない。重症だしね。それと、俺も語りたく無いって側面もある。何んだかなぁ〜

北品川でトレーラーが横転したようだ。信号と電柱をなぎ倒して、一帯が停電となった模様です。以下asahi.comより引用。

25日午前7時55分ごろ、東京都品川区北品川4丁目の都道「山手通り」で10トントレーラーが横転し、道路脇の信号機と電柱をなぎ倒した。電線で結ばれた別の信号機も対向車線上に倒れ、走ってきた乗用車が衝突。運転していた男性(60)が軽傷を負った。

警視庁品川署によると、現場は片側2車線の右カーブ。トレーラーがカーブを曲がりきれずに横転したとみて調べている。トレーラーの男性運転手(41)にけがはなかった。

この事故の影響で、山手通りは現場付近で通行止めとなった。東京電力によると、現場周辺の同区北品川2~5丁目の約1800世帯が一時停電した。

色んな事を言う人がいるが・・・なんか言うと、馬鹿がまた何か言ってくるからやめておこう。安全運転でとだけ書いておきます。

RADIKOの有料版が4月からスタートするそうです。何でも350円だかを払えば、エリアフリーで聴取出来るとか。これに関しては今更感が有るけど、正式にこのサービスが始まるのは画期的だ。今でも明らかに聞こえないエリアからの投稿って有るからね。私ももちろん登録しますよ

どんどん咽の調子が悪くなって行く。


3月26日(水曜日)

杉戸で午前中いっぱい、デバンしていた。体調が悪いので助かる。ずっと寝台で倒れていました。後は特に何もなしだな。


3月27日(木曜日)

ラジオを聴いていたら、袴田事件の袴田死刑囚(元を付けるべきなのか?)が釈放されたとの事。続々と色んな情報が入ってくるが、どうやらほぼ冤罪が確定されている感じだな。良かったの一言だけど、知れば知るほどずさんな捜査内容が浮き彫りになってきている。

死刑制度を支持する側としても、こういう過ちは無くしてもらいたい。そして全てを明らかにしてもらいたい。


3月28日(金曜日)

毎度の事ながら、よく事故に遭遇する。一日中走り回っているのだから、当たり前と言えば、当たり前だ。この日もバイクがからむ事故に遭遇した。R357東行き。首都高湾岸線千鳥町入り口手前です。

こんなふうに規制していた。警備な追突かな?と思い、このクルマをやり過ごすと・・・

バイクが悲惨な状態で、置いてありましたよ。直線道路で見通しもいいのだけど、何がどうなったのでしょうか?バイクを毛嫌いはしませんが、双方に認識の違いが有ったのか?何れにしても明日は我が身である。

声が全くでない。ピークだな。今週はずっと体調がよくは無かったけど、仕事を休むような状態では無かった。この日も同じです。でも一番声が出ない。不便は無かったけど、やはり辛いね。

この間変えた無線機をまた別の物に交換。理由は使い物にならないくらい、繋がらなかったからです。今度のは完璧らしいがこれ如何な物か?そんなこんなで、代車も車検です。


3月29日(土曜日)

病院の日。何時ものところだけど、喉を観てもらう。クスリの所為かと思ったら、咽頭炎だって。クスリを処方されて終わりです。ただ一日中声が出ないのは同じです。

帰宅して、殆ど倒れていた。これはこれで良かったようで、復活です。夕方からMANDA-LA2へ行く。一時退院の青汁さんも来ていた。本人が一番もどかしいだろうけど、他人事ながら、俺も焦れったい。手術日も決まっているようなので、とっとと切っちまって、その後の辛さが早く終わればと思う。良い結果に向かって突き進むのみである。

MANDA-LA2の通りの桜がいい感じで咲いていた。ちょっと写真がダメだけどね。もう時期、一門の花見である。去年は天候不良で流れたからね。今年は開催したいです。


3月30日日曜日

昼間で寝ていて、殆ど引きこもり状態でした。今乗っているクオンの車検が上がってきているので、一応会社に行って確認。翌朝すぐに出られるように、シャーシを繋いでおきました。

TSUTAYA DISCASから借りている“マーガレット・サッチャー鉄の女の涙”を観る。これって、映画館で観られなかったんだよな。俺は昔から、レンタルってのが苦手だった。面倒臭いだよね。でも、宅配システムを使って、届けてくれるならありがたい。返却も郵便ポストだしね。レコードレンタルの時代は、色んな所に会員証があって、まめにダビングしたけどね。

映画の方は、評判通り良かったです。映画館で観るのとは違うけど、それでもこんなにお手軽に見逃した映画を観られるのだから、ありがたいね。


3月31日(月曜日)

A-3 韓進に5時間並んだ。久しぶりだなこういうの・・・そしてやっぱり俺が、最後だった。こんなものだよ。それとは関係ないが、また今日から無線機が変わった。今度のは使える。よく聞こえる分、五月蝿いけどね。

笑っていいともが、今日で最終回を迎えた。俺も一応、夜の特番を含めて、Vしておいたけど、観るかどうか・・・観なくなって久しいけど、笑っていいともは好きな番組ですよ。特に初期のころのはね。テレフォンショッキングでは、かなり際どい事を、色んなゲストが話してくれた。タモリさんならでは、笑っていいともならではの事でしょう。

でも近年は、限界を超えていたのも事実。タモリさんも69歳だものな。元々6ヶ月の約束でスタートした番組だった。漫才ブームに乗っかった、笑ってる場合ですよの後番組でした。それを考えると、たいしたもんです。始まって2〜3年の時にも、やめ時を失ったなんて言われた物です。

何でも良いけど、俺のTwitterのTLまで笑っていいともの話題になるのだから驚きですよ。とにかくお疲れさまでした。今後はタモリ倶楽部のペースで、仕事を続けてもらいたいです。






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